【画廊探訪 No.142】川の流れがつくる静かなる絵―― 坂本麻由里「12人のアーティストによるはがきサイズの作品展」出品作品に寄せて―――
川の流れがつくる静かなる絵
―― 「12人のアーティストによるはがきサイズの作品展」Gallery Face to Face企画
坂本麻由里出品作品に寄せて―――
襾漫敏彦
川は、流れ重なりながら、岩を砕いた砂で模様を描き続ける。川が砂に模様を与えるように神の息吹と魂の戦慄は、世を日々、新たなものへとつくりかえる。魂は、うごめいて、もうひとつの魂へとことばを伝える。
坂本麻由里氏は、日本画の作家である。彼女は、美大に入学するまでは作品としての絵画を描いたことがなかったそうである。そのため、構図や配置、配色の効果というものも教わることもなかったのだろうし、技術的な基本に縛られることなく、キャンパスに自分の主観を直接、託すように描いていく。
描き込む所と流すように色彩を施す部分のコントラストが疎密による構図を形成する。それは、予期せぬものであると同時に確かにあるものなのであろう。
坂本の作品は、一見すると、ヨーロッパの風景画のように思える。抑制された色調ともなる岩絵具で描かれる人物のいないその作品は、こちらの心を置いてみると、ガランドウに置き去りにされたように感じる。
強から弱、密から疎、アクセントに従って流れてくる風が、吹き抜けるのを感じるときそこに漂う寂寥は、自分の心を映し出すという惑星ソラリスの海のようでもあり、霧にうかびあがるブロッケンの妖怪のようでもある。
絵画、彫刻は、本来、そこにあるはずの姿の模写として発展した。作家の外側にある世界の事物や出来事、世界を差配する神の威光を、必死に理解し、休むことなく絵筆を動かしながら表現し続けたのである。美術は、自然を写しとろうとする。人の生の環境としての自然、ありとしあるものを支配する法則としての自然。けれども、理解、表現は、知性は、プリズムのように自然の光を屈折させる。
坂本は、身体のイマージュのままに筆を運ぶ。それは水流が成した模様のように。屈折の少ない作品を前にして、僕らも内なる自然に回帰するのかもしれない。
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坂本さんは、ツイッターやインスタグラムなどなさっています。
ネットでしらべると、画像なども出てくると思います。
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