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展示感想: 「山内康嗣 大回顧展」〜2000年から2022年までの軌跡〜

 『山内康嗣、大回顧展』行ってきました。

 奥野ビル、4階、銀座中央ギャラリーですが、奥野ビルのエレベーターの入り口は、今は映像の中でしか見ることないような手動で、古いものと新しいものが、混在する東京らしい建物で、2000年からの山内さんの回顧展にふさわしいと思います。

 横尾忠則にインスパイアされたという初期の作品から、最近の作品までが並べられていました。


 これらは、昭和に感性がひきずられるような、この国の21世紀のムーブメントを思わせます。

 子供が言葉を話しはじめるように、絵描きも、巷に現れる表現に教わり学びながら、筆を使い始めます。
 とはいえ、世間に流布し共有されたものとは、違う何か、肉体をもつわたしの内側から溢れる何かが、少しづつ、逸脱を始めてしまうものでしょう。

 そこにこそ、複写装置ではないひとの可能性と、人類の膨らみがあると思います。

 山内さんの作品は、前景と後景、ポジとネガのように、二つの表現が重ね合わされているのが特徴です。

 ポジとネガとは、書きましたが、背景に対して、前に出てくるものは、交換可能なものとしては描かれていないようで、背後にあるもの、環境や社会には、おさまりきれない、抑えきれない、そんなものとして、光沢を含んで描かれています。

 変わらない環境、社会、周りに対して、おさまりきれなかった〈俺〉の象徴で、あるかのようです。
 美大の受験を失敗し続けても、絵描きになる夢を捨てきれず、受験をするという嘘をついて、東京への電車に飛び乗って、受験票を破き、公園で、絵を売りはじめた山内さん。
 

 その荒ぶる魂は、時として、隘路に陥り、出口を見失ったエネルギーは、自分すら消化しはじめたこともあったでしょう。
 

 でも、結局は、自分のうちからでてくるものを表現しなければ、自分が保てなくなる。だからこそ、〈俺〉は社会と交換可能なものとしては、表現されない。
 大回顧展の過去と未来への膨らみを持つ22年の軌跡は、否応なく染み出してくる彼自身の軸が現れているようです。


 評価、学問、マーケティング、その元にある社会、環境、市場、そこに漂いながら、僕らはクラゲのように、右往左往しています。

 けれども、それらは過去でしかありません。バブルの夢が忘れられない2000年代、人類の依って立つものが、こんなに脆いと思えたでしょうか。

 9・11、震災、パンデミック、気候変動、終わりなき戦禍、激動は、過去を流しさります。過去をいくら美しく模写しても、未来はその先にありません。
 それを超えて、絵筆をとる、詩を書く、それは、未来を自分の中に、見出したものこそが、踏み出す一歩でもあります。

 ビルの4階から階段を降りましたが、階段脇の窓枠の向こうには、並行してあるもうひとつの階段が見えるのです。奥野ビルの階段を降りるとき、いつも、なぜ向こうの階段を使ってないのか、と考えさせられてしまいます。
 小さな画廊が、沢山入った美術ビルのような奥野ビルには、人生の選択を問うような不思議な階段が、よく似合います。
 使った方は階段になるが、使われない方は、トマソン化してしまう、人生の選択の象徴のようです。

 ひとりの表現者の回顧展には、未来に向けてたじろぎながらも耐え、道を選び続けた、ネガティヴ・ケイパビリティの軌跡が、煌めいている、そう思いながら、ビルを後にしました。


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