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【画廊探訪 No.144】表裏は一体ならずして、立体である――『舘 泰子展』に寄せて―――

表裏は一体ならずして、立体である
――ギャラリー・フェイス トウ フェイス 『舘 泰子展』に寄せて―――
襾漫敏彦

 古典彫刻、本邦では仏像が代表的であるが、その修理、修復には、紙、特に和紙が使われることも多いようである。その薄さの割には強靭で、物体同士を結びつけ、更に亀裂が広がるのを防いでくれる。紙は底知れぬ可能性を秘めている。

 舘泰子氏は、版画家である。彼女は洋紙を支持体として、シルクスクリーン、もしくはリトグラフでのプリントをする。更に、油絵具を溶かすポピーオイルを施すことを組み合させることで、独特な風合いをまとった作品に仕上げていく。オイルは、時とともに変性し独特な色彩を帯びていく。そのため作品は十年前後の時を経てはじめて完成する。ポピーオイルと版画、そして時間、それらの相互作用は、予想を越えた世界へと扉を開けていく。

 紙や布は、帳(とばり)として、障子や襖として、内と外をわける。けれども、それは多くのものを通過させてしまう。紙も布も繊維の枠組みにすぎない隙間だらけの構造である。そして版画のインクも、油も、粒子同士にすきまがある物体なのである。制作の操作によって、それらは組みあわされて新しい姿に生まれ変わる。そして、時と共に成長することで、親である作家から巣立ち、自立して存在するようになるのかもしれない。


 舘の作品は、表の図像と同時に裏もその作品である。表も裏もなく、両方から鑑賞できるようになっている。
 ものごとには表があれば裏がある。裏というのは、表の姿を支えるものであると同時に表にはあらわせない心の襞でもあろう。けれども隠そうとしても顕われるものである。大人達は悧巧ぶってはいても、隙だらけなもので、油断しては露見する裏の顔を子供達はみているものである。
 表と裏を同時に意識することは、平面を立体として見ることだが、その清々しさこそ、舘は表現しているのかもしれない。

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