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(冒頭のみ)ジャニーズ事務所の謝罪記者会見(9/7)の考察。 ~哲学者・フランス文学者の森有正が40数年前に書いた文章について。

私の仕事の専門分野の一つである「危機管理広報(クライシス・コミュニケーション)」に関連して、メディア、インターネットメディア、SNS等各方面から批判的な意見が多かった9月7日の「ジャニーズ事務所の謝罪記者会見」について考察してみた。

当初は本noteにアップしようと考えたのだが、6000文字程度の長文で、また私が始めたばかりのYouTube「企業危機管理セミナーチャンネル」に掲載したいと考え、9/17にYouTubeチャンネルに掲載した。

BGM付でパワーポイント画面の8分程度のものである。といっても音声や動画は無い、いわばYouTube版ブログのようなもの。
 
すでに3週間も経っていて、ジャニーズ事務所に関連した新たな動きも出ている中(10/2に会見とのこと)、もし危機管理広報や謝罪記者会見、特に今回のジャニーズの謝罪記者会見に関心がある方は、宣伝めいて恐縮だが、下記のYouTubeのリンク先で視聴していただければ幸いだ。
 
タイトルにあるように、私はプロの視点から今回のジャニーズ事務所の謝罪記者会見は、一応合格点という評価をしている。
→(あくまで謝罪記者会見自体のみであり、性加害そのものやジャニーズ事務所の隠蔽体質やメディアへの長年の高圧的な姿勢に対しては、一個人として強く批判するのだが)

その理由について、謝罪記者会見の内容をベースに具体的にわかりやすく考察している。
 
YouTube「企業危機管理セミナーチャンネル」

危機管理広報事例検証 2023.9.17
「(批判的な意見の多い)ジャニーズ事務所の謝罪記者会見は一応合格点だと思う理由について」



さて、上記の話題とはまったく異なるが今回書きたかったのは、1976年に死去した哲学者、フランス文学者の森有正が1970年頃に書いたある文章についてである。
 
若い頃、特に10代から20代くらいに買って読んだ本(小説、評論、エッセイ、映画本、音楽本、美術本・・・)はなかなか捨てることができない。本棚を整理していて思わず手に取り、少し読み返したりもする。
 
中には「これは令和の現代について考察しているのではないか」と錯覚するような内容に驚くことがある。最近そんなことを感じた1冊について。
50数年前の書籍だ。
 
私が20代前半に出会い、愛読し、仕事、プライベートとも考え方に決定的な影響を受けたのが、前述の哲学者、フランス文学者の森有正(1912-1976)(敬略称)である。明治時代の初代文部大臣=森有礼の孫としても有名。
 
筑摩書房の森有正全集も2冊ほど持っているが、一番愛読したのは「思索と経験をめぐって」(講談社学術文庫52 昭和51年第1冊発行)と今回取り上げる「生きることと考えること」(講談社現代新書240 昭和45年第1冊発行)である。
 
表紙がぼろぼろになっている(購入したのは1980年頃)新書の「生きることと考えること」を久しぶりに読み返して、前述のように「これは40数年前に現代のことを予言しているのでは」と驚いた箇所が以下だ。
一部を引用させていただく。
 
P190
~(略)~
人間にとっては「生きること」と「考えること」を離すことは事実上できません。~(略)~私はそう思うのです。
現在、日本ではあらゆる意味で考えること、生きること、両方ともひじょうに困った状態、マヒ状態に陥っているのではないかという気が、私にはします。それはいろいろの点からいえますけれども、私の考えでは、ことばというものが考えることと生きることとを結びつけることをやめて、すなわち正しい表現能力を失って、もう何かを表現するのは問題ではなく、ことば自体が一つの糸のきれたたこのようになり、一人歩きを始めて、そのことばのやりとりだけでもってすべての人が問題をすませてしまう。つまり、ほんとうの現実とことばとが、かみあっていない。生きていない、考えていない。それでいてしかも、生きているかのような、考えているかのような状態が出てくる。この状態は、おそらく日本だけの問題ではないでしょうが、いまいちばん大きな日本の欠陥ではないかと思います。~(略)~
P191
~(略)~理解ということについては、ずいぶん進んでいると思われますが、それはただ理解にとどまっているだけで、行為にならない、あるいは自分の考えにならない、人のいったことばを理解する。だからある意味で、ことばの自己回転と理解の過剰となった。これが日本の文化の欠陥だと思うのです。~(略)~
 
「生きることと考えること」 著者=森有正(聞き手=伊藤勝彦)
講談社現代新書240昭和45年第1冊発行、昭和55年第23冊発行=私が保有している新書。
Ⅷ「生きること」と「考えること」P187-P206:前述引用P190-P191

本書は聞き手の伊藤勝彦氏からの質問に答えるという形の口語体で、非常にわかりやすい言葉で、深遠な思想を語っている森有正の名著の一つだ。
 
引用した箇所を二度、三度と繰り返し読んでみてほしい。現代の日本が抱えている政治、経済、社会全般の様々な問題点や閉塞状況、そしてメディア、インターネット、SNS等の言論空間についての、批判をはらんだ実に示唆に富んだ意見ではないだろうか。
私はそのように感じた。
 
森有正の深遠な思想(哲学者としてデカルト、パスカルの研究など)を一言で述べるのは不可能に近いが、私が20代前半の大学生時代に初めて読んだ際に最も印象的だった森有正の考え方、そしてそれは65歳の現代に至るまで私の中で基本になっている考え方なのだが、それは
「言葉(名前)が先にあるのではなく、ある実体、行為に言葉(名前)を名づける」である。
 
もちろんこれは私だけでなく、誰でも日常的に行っていることだ。

例えば、親友と呼べる友人がいるとすれば、それは付き合って間もなく「俺とお前は親友だよな」とは言えないだろう。
長い間の交友の中で、時には喧嘩もしたり、そして苦しい時に助け合ったりなどの実際の行為や実体があって初めて「親友」と言い合えるのである。
これは世の中のすべての言葉に共通する。信用、プロフェッショナル、愛情など。
 
ところがこれは森有正も書いていることだが、例えば「民主主義」のような言葉に対しては、私も含めて言葉だけをなぞっていて、自分の実際の体験とはかけ離れた知識としてとらえることが大半ではないか。前出の引用文が示唆していることの一つだと思われる。
 
私と同様の森有正ファンは現在でも日本に数多くいると信じたいが、例えば小林秀雄などと比べればけっして有名とはいえない。今の日本ではあまり読まれていないのではと感じる。
一人でも多くの人、特に若い世代の方に森有正を読んでいただきたいと願うものである。パリについて考察した数多くの哲学エッセイも、実に美しい文章で魅了される。

ジャニーズ事務所に対する、これまでの対応からの「手のひら返し」のような批判(ジャニー喜多川氏、メリー喜多川氏の生前に批判しろよと言いたくなる人は多いだろう。私もその一人)も、前述の森有正の言葉がリンクしているようにも思われる。
 








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