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仕事における私の習慣 | 業務パフォーマンスを高めるための思考法

こんにちは!今日のnoteは、久しぶりに"習慣化"に関する記事を書いてみたいと思います。

以前にも書きましたが、私、記事をマガジンとしてまとめていまして、その中の1つのテーマが習慣化なんです。

習慣化って聞くと、「運動」や「食事」といったテーマになりがちなんですが、何か別のテーマで書けないかな?って思いまして。

今週はちょうど仕事でも色々あって、自分と自分以外の人の働き方や仕事の進め方を比較していると、そもそものスタンスからしてだいぶ違うんだろうなぁ〜って感じる場面があったので、そこから着想を得て書いてみようと思います。

ある仕事が降ってきた。そんな時にどう動くか?

これって結構大事だし、パフォーマンスを左右するなって思うんですよね。

あ、べつに私自身ハイパフォーマーだなんて思いませんよ。でも、周囲からの評価やフィードバックを客観的に見ていると、ありがたいことにそれなりに評価をもらえている実感があります。知識やスキル(パソコン・英語等)に差がないのに、なぜその差が生まれるのか?そんなことを考えていったら、そもそも仕事に向かう際の"ルーティーン習慣"に差があるんじゃないかな?って思ったんですよね。

そんな訳で今日のnoteでは、私が普段、仕事において業務パフォーマンスを高めるために心がけていることについて書いてみたいと思います。


習慣①: 「そもそも」「なぜ?」を考える


たぶん全く新しいプロジェクトや業務だったらみんな考えると思うんです。「この仕事はそもそも何のためにやるのか?」「この仕事の完成系イメージはどんなか?」ってことを。

ですが、もうルーティーン化しちゃった仕事(たとえば、必ず毎年1回実施する業務の計画書や報告書)って、いちいちそんなこと考えなくなると思うんですよね。

去年の計画書をコピーして、数字とか内容とかをちょっとだけ微修正して、報告書も同様に。なんてこと、よくあるんじゃないでしょうか?私もありますよ、そんな経験。そのほうがだいたい仕事も早く終わりますからね。わかる、確かにそれも一理ある。

ですが、私はいつもこの時、なるべくこんなことを考えるようにしています。

「本当にこの計画書、報告書、今の書き方がベストなのか?」と。

これはnoteで毎週記事を書いていても思うことなんですが、過去に書いた自分の記事って、今見返すと「稚拙だな。。」って、私、結構感じちゃうんですね。これと同じことが、ルーティーン化された仕事の計画書や報告書でもあると思います。

「去年作ったこの計画書、書き方イマイチじゃない?」って。

こういった考える癖がつくと、次に「じゃあそもそもこの計画書って何のために作ってるの?」って思考になっていき、それを繰り返しているとそのうち自然と「毎回ちゃんと見直そう」、「目的に立ち返ろう」って感じになっていくんです。

一方で、周囲の同僚を見ていると、毎年決まったように同じような計画書・報告書を作っている人がいます。話を聞くと大抵返ってくるのはこんな言葉。

「去年もこれで出してて、マネージャーからOKもらってるので。」

私、この思考、ちょっと危険じゃない?って思うんですよね。

要するに、昨日までうまくいっていたんだから、明日もうまくいくはず、ってことじゃないですか?

でも世の中って、本当に昨日までの正解が将来の正解になるんでしょうか?そもそも昨日までが正解だったなんて、誰かいってましたっけ?
(やばい、なんか怖い感じになってきたかも・・w)

恐らくそのマネージャーさんがOK出したのは、その時点でまぁ及第点としようと考えたからであって、何も最適解だったからではないと思うんです。裏を返せば、いつだってOKが出たものが最適解ではないですし、かつ最適解だって常に状況に応じて変わるものだと思います。

だから、たとえルーティーン化された仕事であっても、毎回「なぜ?」を考えることって大事なんじゃないかな?って思うんですね。

毎回そのちょっとした見直しによって、成果物の精度も少しずつ高まっていく。1回1回は「面倒」と感じることかもしれませんが、前回同様を長年続けるのと比べると、数年後には非常に大きな差が開くんじゃないかな?って個人的には思います。

習慣②: メールは可能な限り短文で


私自身、新人の頃は正直酷かったです。とにかく「メールが長い!」ってよく言われていました。(すみません、noteはダラダラ長めであるのは自覚してます💦)

これね、おそらく「丁寧に書きたい」「ちゃんと伝えたい」「誤認させたくない」って思考が自然と働いてしまってこうなるんだと思います。

でもね、私も中間管理職になって特に強く感じることなんですが、「そもそも誰の目線でメールって書くべきものなの?」って話です。

「丁寧に書きたい」「ちゃんと伝えたい」「誤認させたくない」と思っているのは、メールを送る人自身・・・・・の感情ですよね?

でも、反対にこのメールを読む人・・・って誰なの?ってことなんです。

大抵は、忙しい上司だったり、キャラも詳しく知らない他部署の人だったり、あるいはクライアント等パートナー企業の人だったりするんじゃないでしょうか?

だとすると、読み手にとって読みやすいメールってどんなの?って考えたら、自ずと答えは違ってきます。

  • 自分読み手が欲しい情報だけが書かれている

  • 自分読み手が知っておくべき要点だけがまとめられている

  • 自分読み手のアクションが一瞬でわかる

要は、受け手側は、端的かつ明瞭なものが一番ありがたいんです。

「いやいや、そんな相手のことなんてわからないじゃないですか!」って思う方もいるかもしれません。でも、大丈夫です。もし受け手が情報不足だと感じたら、「もうちょっと詳しく教えて?」と連絡が入るからです。それでももし不安なら、メールでの連絡とはべつに、チャットや口頭でフォローアップをすればいいんですよ。

とにかく、自分の伝えたいことを全て丁寧にメールで伝えようとすること、これ、私は遠い過去に置いてきました。

習慣③: 雑用はすぐに片付ける


これも丁寧さ・・・が生み出す思考だと思うんですが、何でも100%やろうとする人がいます。

たとえばイーラーニング。外資系に勤めているのもあるかもしれませんが、とにかく「読め」「ルールを理解せよ」的な意味の自己学習のオンライントレーニングが大量に送られてきます。

ルールを理解することは大切です。全く無視、知らなかったは許されないのは確かです。ただし、こういったものに私たちの貴重な時間をどれだけ投資できるか?と考えると、ある程度の"覚悟"も必要です。

同様のことが経費の申請や承認、資料のレビュー・承認などにも言えます。ちゃんと見ていることが当然。そこに何かのミスがあった場合、承認者が責任を取る必要が出るのは避けられない事実でしょう。

ですが、当然時間だって限られている。だからある程度は腹を括るべきものは括る。その上で、本質や要点だけは確実に抑える。こうすることでリスクを最小化できますし、かつ、仮に承認された資料に小さな誤りがあったとしても、柔軟さを持って改善がしていけるってわけです。

私はいつもこう思うようにしています。

ミスがあることが悪いんじゃない、ミスを隠そうとすること、全ての仕事は完璧でなければならないと思うこと、こっちのほうがむしろ却ってリスキーなんじゃないかな?

習慣④: 完全性・完璧さよりも、俊敏性と実験思考


これも日本人にありがちなのですが、上司などから依頼された仕事について、とりあえず数日間温めてから仕事にとりかかり、全てちゃんと作ってからレビューをお願いするといった行動。

これ、私やらないようにしています。

まず依頼された仕事については、なるべく依頼された日当日、もしくは翌日には準備に取り掛かるようにしているんですね。

一旦ワードなり、パワポなり、あるいはメモ帳なりを立ち上げて、「とりあえずこんな感じかな?」ってのをざっと書き出してみる。その上で、「やっぱり依頼されていることがそもそも分からんな。。」って思えば上司に聞けばいいし、反対に「いけそうやな!」って思えば、またその続きは「次回いつやるか?」をプランしておけばいいって考えるんですね。

また、今こんな感じで進めているよ、っていう途中段階も上司との1on1の機会なんかに見せておく。すると、上司としては「そんな方向性で進んでいるのね!」って認識もするようになるし、そこでもし上司が「ちょっとその方向性違うな」って感じたら、「これはこうなんじゃないの?」ってツッコミももらえるようになると思います。

よくミスチルの櫻井さんが、ちょっとしたドキュメンタリービデオの中で、鼻歌で「こんな感じのメロディーなんだけど、どう?」みたいなのをメンバーに聞かせたりしているんですが、そこで「うん、いいね!」とかなって、そこからギターやドラムの音が形作られ、楽曲が仕上がっていくようなシーンがあるんですね。私、仕事もまさにこんなイメージだなって思っていて。

とりあえず、みんな鼻歌を聞かせる・・・・・・・ところからはじめればいいんじゃない?って思います。

そうやってかなり初期段階から公開しつつ徐々に仕上げていく方が、完璧なデモ版を作ってから最終化していくよりも手直しも少なくて済むし、ひいては発売後に予想に反して全くヒットしない!なんてことにもならない気がするんですよね。

習慣化 > 能力


案の定長くなってしまいましたが💦、いかがでしたでしょうか?

いや、やっぱり仕事でも習慣化って大事だなって思うんですよね。こうやって書けば、1点1点そんなに難しいことを言っているわけじゃないし、誰にだってできることです。だけど、自分の癖習慣化として身についているかいないかで、めちゃくちゃ大きな差が生まれると思うんですよね。

「習慣化 > 能力」なんて書きましたが、実際には能力のある人には勝てっこないだろうなって思っています。本当に能力の高い人は、一般人の数百、数千倍パフォーマンスも高いし、もっと言えば、世の中なんて一部の天才によってその恩恵がもたらされているものだと個人的には考えています。

だけど、私のような凡人が、「じゃあどこに勝算があるのか?」って考えたら、正直、ちんけな能力磨きに勤しむよりも、より良い行動思考を習慣化の力で高めていくことのほうが、結果的にコスパ良くパフォーマンスを発揮できるんだろうなって思います。

とはいえ、このnote投稿をお読みいただいてもお分かりの通り、私自身が頭で理解できていることと、実際のアウトプットにはまだまだギャップがあると思っています。

これからも私は、今回書いた4つの習慣を精度高く実行できるようにするため、日々考え実験を繰り返していきたいと思います。

今日も最後までお読みいただき、ありがとうございました!

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