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2002年夏・ 21歳の私がタイ一人旅を敢行し感じたこと

夏になると旅がしたくなる。こんな感情に自然と駆り立てられるようになったのはいつからだろう?

40歳を超え、家族を持った最近でこそ落ち着いた旅行先が多くなってしまったが、学生の頃はエキゾチックで刺激的な旅にひときわ憧れをいだいていた。

- 人生を変える旅 -

何もなかったあの頃の私は、旅に出ることで何者かに生まれ変わりたかったのかもしれない。

私には今でも忘れられない旅がある。タイ王国への一人旅。

当時21歳の私は、お金もなく、英語も話せない、内向的な性格の持ち主であった。海外旅行にしても、2週間のパッケージ留学でいったロサンゼルス以来の2度目の海外。全てを自分自身で手配した旅としては、初の海外旅行だった。

- どこか自分を変えたかった -

こんな想いが心にはあった。前年、大学にはかろうじて入れたものの、成績は振るわず、単位を落としている科目も多かった。日々バイトに明け暮れる生活。だからと言ってその金を使うような相手彼女もいなかった。ただただ暇つぶしのような毎日を送っていた。

- 明日なんて必要なかった -

だからこそ、この旅行を躊躇なく決行できたのかもしれない。

2002年夏- タイ一人旅


2002年◯月×日 (Day 1)

100リットルのバックパックを肩に、私はドンムアン国際空港にいた。衣類の他はパスポート、地球の歩き方に9日後の日付が書かれた帰りの航空券バウチャー、それに現金が日本円で5万円ほどあるのみだった。これから先の滞在先も、また行き先も、まだ確定したものは何もない。あくまで頭で思い描いたプランでしかなかった。

とりあえず首都バンコク中心地を目指す。当時、金をかけずに移動できる手段の1つは鉄道(国鉄)の利用だった。

当時のタイ国鉄は日本のJRとは当然異なり、快適なものとはお世辞にも言えない、途上国としての"それ"であった。

その日の宿は、この駅にいた日本人男性と探すことにした。彼は私より少し年齢は上、それでも20代であることは容姿や口調から想像できた。

バックパックでの一人旅にも慣れていて、バンコクでビザを取得して、インドに向かうという。「そんなことができるのだ」と心に衝撃が走った。

宿は彼のお陰もあり容易に見つかった。バックパッカーの聖地、カオサン通り。

いかにも途上国といった感じの街内に世界各国からバックパッカーが集まっていた。まさに人種の坩堝。

安宿に荷物を下ろし、食事に出かけた。この辺りに広がる屋台なら、数十円で十分腹一杯食うことができた。

2002年◯月×日 (Day 2~3)

私は再びバンコクの国鉄中央駅(フアランポーン駅)にいた。

行き先は、チェンマイ。誰もが憧れる寝台列車の旅がしたかったからだ。とはいえこの列車はいわゆる豪華寝台列車などではない。地元民も使うような一般的なもの。日本で言えばサンライズ出雲のようなものだろうか?

到着時、チェンマイは雨だった。街中に流れる水路はどこも水かさが高く、今にも溢れそうな様相を呈していた。

チェンマイに来た目的は特になかった。ただバンコクとは違った景色が見てみたい、多くの土地でさまざまな仏閣を見てみたい、その想い一つで電車に飛び乗った。

チェンマイでは、エレファントバックライドなどを楽しんだ。

2002年◯月×日 (Day 3~4)

チェンマイから再び寝台列車に乗りピッサヌロークを目指した。

行き先はスコータイ。タイ北部では有数の遺跡の街だ。ピッサヌロークから出るバスでスコータイに入ることができる。そのことを知り、この遺跡を訪れることにした。

ピッサヌロークには早朝(4時半)頃についた。まだあたりは真っ暗だ。

地図を見る限りは、鉄道駅からバスターミナルまでは少し離れているが徒歩で向かえる範囲。スマホのなかった当時は、地図を片手にバス停に向かうしかなかった。

しかし、歩けど歩けどバス停は見当たらない。気づけばあたりも少し明るくなり、いつの間にか朝になっていた。

真夏の朝に冷や汗が出た。「まずい、完全に道を見失ってしまった。。」読めないタイ語の看板を呆然と眺めていた。幸いにも歩いてきた道を引き返すことで鉄道駅に戻ることができ、バス停にもたどり着くことができた。

スコータイは水に覆われていた。バスは迂回し迂回し、ようやくターミナルに辿り着いた。

観光どころの騒ぎではない。そんな雰囲気の中泊まれる宿を探し、感じの良い手頃な宿を見つけることができた。

2002年◯月×日 (Day 5)

目覚めるとベッドの脇で脱いだサンダルが浮かんでいた。水はベッドに迫ろうとしていた。

「街を出てピッサヌロークに引き返した方がいい」そう宿屋のスタッフは私に伝えた。

前日の雨でバスが何台か水に浸かり壊れたらしい。そんな話を聞いた。

幸いにも生き残ったバスに乗車し、ピッサヌロークまで戻ることができた。

次の目的地はアユタヤに決めた。

バスに揺られること5時間、アユタヤ市街地に到着した。

ここでもまた宿探し。ゲストハウスの滞在にもだいぶ慣れてきたので、快適さより安さを重視した。

声をかけてきたいかにも調子の良いトゥクトゥクおやじを半日チャーターし、遺跡巡りに出かけた。

2002年◯月×日 (Day 6~7)

痒さでろくに寝ることができなかった。おそらくベッドにダニが大量にいたのだろう。この旅で初めて「判断ミスったな」と心の中で呟いた。

とはいえ、アユタヤはとても落ち着く街だった。バンコクほどのごみごみ感もなく、でも活気に溢れ、お店も多い。この街にもうあと少し滞在するのも悪くないなと思いつつ、グリーンカレーを食べ、バンコクへ戻ることにした。レストランではアヴリルラヴィーンのアイム・ウィズ・ユーが流れていた。

カオサン通りは相変わらずの熱気に溢れていた。夜には屋台が並び、怪しい昆虫の揚げ物が食用として並べられていた。

ゲストハウスで水シャワーを浴び、恐る恐るベッドで寝床についた。

2002年◯月×日 (Day 8)

水上バスに乗り、ワットアルンを観光した。世界地理で習ったチャオプラヤ川は、様々なボートが行き交い、この街の生活を支える1つのインフラであることを実感した。

タイに来たからには、本場のタイ古式マッサージを味わってみたかった。

ここまでの節約生活でまだ資金には比較的余裕があった。

地球の歩き方を調べ、日本語でも対応可能なマッサージ店を確認し施術してもらった。

旅行中に知り合った日本人に「屋台で食えるうまいフカヒレ店があるから一緒に行かないか?」と誘われ、そこで夕飯を取ることにした。

贅沢をさんざんした後、いつものカオサン通りに戻った。

2002年◯月×日 (Day 9)

旅も終盤を迎え、やり残したと感じることも少なくなっていた。前日知り合ったその彼が、今度はムエタイを見に行くというので、ついて行くことにした。

会場はカオサン通りからは少し離れていた。冷房は効いているのだろうが、やや蒸し暑い体育館の中で次々とファイターが試合を行っていく。会場は熱気に溢れていた。

喉が渇いたので、売り子から氷入りのジュースを1つ買った。(これが後に私を苦しめることになった。)

試合が終わり深夜の国際便に向け、お土産を買うことにした。

比較的残金にも余裕があったので、少し良さげなショッピングセンターのスーパーマーケットで友人へのもの、そして自分への記念品を買った。

最後もまた、国鉄駅からドンムアン国際空港へ鉄道で向かった。

搭乗までは順調だった。異変が生じたのは、飛行機が離陸した後だった。

猛烈な腹痛に襲われた。トイレに駆け込むも下痢はいつまでも治らず、結果帰りの飛行機での相当数の時間をトイレで過ごすこととなった。

後で地球の歩き方を見ると、「ムエタイ会場での氷入りドリンクには注意」と書かれていた。

記憶を辿って、私が今思うこと


自分でも驚くほど、当時の記憶は鮮明に残っている。写真はどこかへ行ってしまったが、あの時見た景色、食べた食事、受けたマッサージ、出会った人々、すべてがまるで昨日のことのように思い出せる。

ここまで記憶に残る旅ができたのには、どんな理由があるのだろうか?

一つは、自分自身、当時楽しい日常がなかったことが挙げられるだろう。空っぽだったからこそ、この異様な日々の出来事が、事細かく脳に刻み込まれることになったのだろう。

もう一つは、あまりにも日々に起こる出来事が浮世離れしていたことがあるだろうか。

100円以下で食べれる食事。
500円以下で泊まれる宿。
水しか出ないシャワー。
言葉も通じない国での迷子。
洪水で水没する街での宿泊。
ダニで眠れない夜。
腹を本気で下す体験。

日本の大学生がまず日本では味わえない体験を毎日のようにすることができた。

これは、いかに日本が恵まれた国であるか、私自身の生活が、大変に多くの人の支えの上に成り立っているのかを身をもって体験できた瞬間だった。

でも総じて感じたことは、こんなことではないだろうか?

金がなくたって、人生楽しく生きれば、それでよし。

それまでの私自身が抱えていた「こうならねば」といった感情がかなりほぐれた体験だったように思う。

この思いが、ひいてはこの約10年後に実行されることとなるワーキングホリデーにも繋がったように感じている。

旅に出た当初は、何も目的などなかったけれど、旅での偶然が私に与えてくれたものは、その後の人生の価値観決めにも大いに影響したと思う。

これ以降タイには行っていないが、またいつかあの時の記憶を辿って、こんな無計画な旅に出てみたいものだ。

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