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理想の死に方

個人的に気になったニュースがありました。

ブラジルの熱帯雨林に暮らす先住民の最後の生き残りが亡くなったというニュースです。

まず、他にも仲間の部族がいたのに、領地を拡大したい牧場経営者に全員殺されたというのが、もうなんだか修羅の世界ですね。

ブラジルという国の民度が知れてしまいます。

都市に馴染み、文明の利器に囲まれて暮らしている人間は、こうした先住民族を、よく『未開人』とか『野蛮人』とか呼ぶことがありますが、一体どっちが野蛮なんだか。

仲間が殺された後、もしかしたらそれ以前からかもしれませんが、外部との接触を一切経ち、たった一人で自給自足の生活を送って来たこの男性、最後は鳥の羽を纏った状態で、ハンモックの中で息絶えていたとか。自然死と見られているそうです。

これを知って、私は思いました。

「これって、私が理想とする死に方やわぁ、羨ましい!」

本当は鳥葬が私の一番の希望なのですが、日本では認められていないので、死にそうになったらチベットまで行かなくてはならず、そんな死の際の老体にムチ打って、チベットの山岳地帯まで行くのは難しいので、この案は却下となりました。

鳥葬を望む理由は、人間は食物連鎖の頂点に居るのにもかかわらず、最後は他の動物たちの栄養になることもなく、土に還ることもないのがとても不自然に感じるからです。

百獣の王ライオンだって最期はハイエナや他の肉食動物の餌となって、命の循環の一端を担っているのです。人間はヴィーガンでもない限り、沢山の他の生命を頂いて、長い生涯を生きます。それなのに、その最期は火葬されて骨壺に入れられて、土にさえ還れません。

それが何だかとても気持ち悪い。

という話を、何年か前に隣のおばちゃんとの井戸端会議で話してたら、

「それ、私の高校の時の国語の先生も同じこと言うてたわ!」

と、意外にも賛同者がいることが分かり、何だか嬉しくなったのですが、まぁどのみち日本では無理な話ですね。

ちなみに庶民がお墓を建てるになったのは、江戸時代からだそうです。つい最近ですよね。

平安時代なんかは庶民が死んだら風葬するのが普通で、遺体は京都の化野(あだしの)や鳥辺野(とりべの)なんかに野ざらしにしていました。(家にある『平安京の風景』という本に、確かそう書いてあった)

鳥辺野という地名からも分かるように、千年前は日本でも鳥葬が行われていたのです。

いいなぁ。

ただし、それが疫病が流行る一因にもなっていたと思うので、デメリットも大きいのですけどね。

まぁ、こんなことばっかり言ってると「変わり者!」と言われるので、ごくごく親しい人にしか話してませんけれどね。(…って、ブログに書いちゃっとるがな)


ブラジルに話を戻すと、この男性はたぶん自分の死期を悟って、自らの体を鳥の羽で飾り付けて死装束とし、そのままハンモックに横たわり、静かに旅立ったのでしょう。

確かチベットでも、魂は鳥の体に乗って天に帰るという言い伝えがあったはず。(出典は夢枕獏の小説)

うろ覚えだけど、北米のネイティブ・アメリカンにも同じような伝承があったような…。


実は算命学では、最後はどんな死に方になるか予想できる占技があるんです。でも、あんまり当たりません。有名人で訃報があると検証してみるのですが、その通りになる人は半分以下です。

というのも、たぶん宿命に沿った生き方をしないと、死に方も星通りにならないんだと思います。現代人はちょっと無理をした、不自然な生き方をしてるんでしょうね。

まさにどう死ぬかはどう生きるかと同義ですね。

でね、この先住民男性のように、自然で穏やかな死に方が出来るというのは、北の星が鳳閣星か調舒星だったんじゃないかと思います。

看取る人もなく一人で逝ったから調舒星かな?

鳳閣星と調舒星は長寿の星で、北に出る場合、最期は老衰だとされています。ブラジル男性は60歳くらいだったということですが、医療機関にも一切お世話になっていないので、原始的な生活をしていた先住民族としては長寿な方ではないでしょうか。

仲間を殺されて一人きりになってしまって、辛いことが多い人生だったと思いますが、最後は穏やかな死に方が出来て良かった。

私の北の星も鳳閣星なので、宿命通り生きられれば老衰による自然死になる予定です。

ただ、独身で子どもいないので孤独死する確率大です。
別にそれは全然構わないのですが、家の中で腐っちゃうのは処理する人に大変申し訳ないと常々思っていて、死にかけてきたら外でハンモックで寝るのがいいかなー?そのためには田舎の民家を買わないといけないなぁ…寒いの暑いの耐えられないから死ぬのは春か秋がいいなぁ、なんて考えていた時に、まさにそういう死に方をした先住民がいたので、書き留めてみました。


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