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入院中に考えていたこと

高校2年生16歳の夏、トランポリンで大怪我(頸髄損傷)をして車いす生活になった。

2ヶ月の救急病棟、9ヶ月の一般病棟での入院。

つらかったと認めたくはないけれど、きっとつらかった。

私はいつも自分のことを客観的に見てしまう癖があって、入院中も自分のことをドラマの主人公みたいと思っていた。笑

人工呼吸器を使っていて、息をするのにも精一杯なのに、髪型変じゃないかなとか眉毛お手入れしてないなとか、こんな状況でお見舞い来られたら嫌だなとか考えていた。

身体が動かない分、心がすごく動く。
どこまで想像が広がっちゃうんだろうっていうぐらい広がる。

時間はみんな平等ってよく聞くけれど、入院中に感じる時間の長さはすごかった。
朝起きて、ご飯を食べてウトウトして、お昼ご飯を食べてリハビリして、ウトウトして夜ご飯を食べて寝る。この繰り返し。
11ヶ月間の入院生活、なんだか毎日が無だった。
毎日に意味がないとかいうことではなくて、心が無だった。
無にしていないと余計な感情が出てきちゃうから、抑えに抑え込んでいた(今思えば、落ち込む時にしっかり落ち込んだり悩んだりすればよかった!平気なフリしなければよかった!その反動がいつか必ず来るから!笑)。

忙しすぎると自分を見失っちゃうけど、時間がありすぎるのも自分を見失っちゃう気がした。

救急病棟では人工呼吸器だったり、文字盤を使ってのコミュニケーション、食事の飲み込みの練習など、身体的につらかった。
けど、それ以上につらかったのが一般病棟での9ヶ月間の入院生活。

身体的には人工呼吸器がなくても呼吸ができるようになったり、血圧が安定してきたり、少しの時間なら車いすに乗れるようになったり徐々に落ち着いてくるのと反比例に、心がどんどん苦しくなってきた。
自分の置かれた状況がだんだんと冷静に見えてくる。

お見舞いに来てくれる友達たちが進路について悩んでいる話を聞きながら、自分には進路について悩む選択すらないんだなぁ…とかちょっとネガティブになったり。
人間関係で悩んでいる話を聞きながら、人間関係で悩めることが羨ましかったり。
そのときのわたしの悩みは、歩けない身体でこの先どうやって生きていくか…だったから。

あれから、14年経ってのいま、人間関係で悩んでいる自分がいる。
幸せ、なのかもしれないなぁと思う今日この頃です。

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