異文化こみゅにけーしょん

午後からの眼科診察の前に有楽町で蕎麦を食べました。
蕎麦と言っても王道という感じのそれではなく、
「蕎麦の香りを感じるために一口目は何もつけないで食べてみて」みたいなことをおっしゃられちゃう方には、
邪道って言われちゃうであろう「つけ蕎麦」なるジャンルを開拓すんぞ的な香りを微かに漂わせるお店。
麺のコシと太さはラーメンのそれに近い感じで、
完食後の満腹感もラーメン屋さんでつけ麺を食した後のあれに近かったりで、
あれそれを絡み合わせて新しい蕎麦の粋を広げることにチャレンジしてるとしたブランディングが
人気を博している店のように感じられました。

行列に並び委ねた時間は15分程度。
あれやそれやこれをも踏まえてのワタシの感想は、
並ばないならまた行きたいけど、
空腹時の15分を献上するなら、わざわざにはもう行かないかな。
くらいな満足度で食べログっぽく点数つけるのなら3.3
清潔感のあるコの字型のカウンター席に12名程度が座れるこじんまりした店内は
間口はオープンな割に静かな空間で、
BGMのない店内に響くのは、ワタシが蕎麦を「ずずず」とすする音でした。

「次はお二人さんですかー?」
「バラバラの席でよかったらどうぞー」
と行列の先頭となったワタシ達にコの字の中から男性店員さんの声がかかります。
一緒に行列に並んでいる視覚障害者のガイド役でもある妻は、
「あ、一緒で、、」
と小声で伝えながら、NOの合図を送ります。
仲睦まじげな会話が列の真後ろから聴こえていた女性お二人にコの字から同様の提案があり、
YESとしたお二人は一人客と化してバラバラに入店されました。
ほどなくで、そのお一人になった女性の隣がニ席空いて、
ワタシは妻とその女性に挟まれる形で着席したのでした。

当然にワタシ達より先にその女性に蕎麦が提供されます。
ワタシの右目は失明してるのでその女性の姿はまったく見えません。
ワタシの「見えない」感覚を正確に言葉で伝えることは難しいのですが、
何かに遮られて「見えない」というものではなく、
右の空間が「ない」感じです。
視覚だけのことで言えば、その隣の女性は「いない」という感覚が近いです。
もちろん顔を右にグイッと向ければ、視力は弱いながらも残している左目でもって
女性を「見る」ことは出来るし、
顔を右に向けなくても匂いや温度や音などがあれば「いる」ことはわかるわけです。

しかしですね、
この女性。
蕎麦が出てきて席を立ってお店を出るまで、
ほぼ、
ほぼほぼで、
「いない」
や、
「いた」んです。
それは間違いありません。
ただ、
音がしない。
ほぼ、
ほぼほぼで、
無音なのです。

音がしないので隣に座ってるか確認したい気持ちがモリモリ湧きます。
しかし、
・顔を右にグイッと向けて見るわけにはいかない
・香水などの匂いがするわけでもない
・体温を感じるような距離感であるはずもない
で、
・音がしない
・蕎麦をすする音がしない

「いる」んですけど「いない」んです。
蕎麦を食べるときにその女性は
一切、すすりません。
実際にどんな食べ方をされてたのかはわかりません。
ただ間違いないのは、
すすらない
ずずらない。
ず、がない。
す、もない。
ちゅる、もない。
はむはむ、って感じのもない。

それに気づいたのは、
「ず、ず、ずずずーーっず、ずずー、ちゅるん」
って音のでかいこと。
ワタシの目の前に牛肉辛味つけ汁ぞばという商品が出てきた途端に
奏でられ始めたワタシの蕎麦をすする音です。
店内でこだましてんじゃねぇかってくらいのやつが自分の耳に入ってきたわけです。
それで、
(にゃ、でかい)
と気づいてちょっと食べるの休憩して、
店内のすすり具合の調査を開始しました。
10秒。

そうすると、まず隣で音がしないことに気がついたわけです。
(あ、いない?)
(や、いないわけない)
(ん、こんな短時間で食い終わってるわけない)
(や、でも音しないな)
(すすらないにしても、こんなに音ってしないもんか?)
(あ、、)
(ちょ、ちょっ、、)
(音、した)
(い、いる、、いるのはいる)
(も、聞いちゃいけない音、聞いちゃった気が、、)
(な、なんか、食いずれーな、、)
(すすりずれー、、)
なんてことが巡った10秒間の後に
調査結果を踏まえて無意識に配慮したのであろうニューバージョンのマイすするを再開しました。

「ずす、はむはむ、んず」

ヌーハラとか言うらしいですよね。
日本人特有だという麺をすする食べ方、
それに伴う音。
ワタシが店内でこだまさせちゃうやつ。
あれをヌードルハラスメントなんて呼んじゃう概念が存在するらしい。
パスタはすすらないのだってことはいつかに誰かに教わって、
しっかり身についてる体は整えてるけど、
家でパスタを食べるならクルクルするのはするにしても、
クルクルをはみ出したポヨンはずずりとすする君なワタシは、
ヌーハラとパワハラとを重ねるなら、
中古車販売のビックがビックリだった会社の副社長さんかってくらいのやってモーターなんですけど、
(すすって何が悪いの?)
(だって、日本人なんだもの)
って感じの開き直りハラスメント男だなと自認できる。
外部調査委員会とか必要ありません。

人が嫌がることをするってことがハラスメントということで良いのなら、
世界という単位に生きてる大多数の人に嫌がられてしまう少数で邪道な食べ方をするのがワタシなのでしょう。
それをハラスメントだとする人がいることも知っていました。
でも、そんなことを身近に感じることはなかった。
なかったけど、何かの拍子にそれを議論するなら、
ずずってすするは日本の王道だ。
だからワタシはずずるよ。
すするよ。
ひるまないよ。
なんて、言ってたと思うし思ってた。

しかし、ひるんだのです。
ひるみました。、
外国の方の前ではなく隣で蕎麦を無音で食べる日本人の女性に。
日本の食文化の王道である蕎麦を
邪道と誰に言われようが美味いと思う調理法で食べさせるジャンルの店で。
すするは王道ではないのか?
それは日本基準という狭い了見の範疇での道なのか?
世界基準では邪道なのか?
や、
蕎麦をすすらないのは邪道ではないのか?
すするは王道ではないのか?

人が嫌な思いをすることはしてはならない。
これもいつかに誰かに教わった気がします。
でも、教わったことがないような気がするのが、
その「人」って誰?
「嫌」って何?
わかりずらい。

すすらない女性の食べ方が、王道なのか邪道なのか、
そのうちにすすらないのが日本でも多数になるのか少数になるのか。
これもわからない。
あの女性はすすらなかったけと、
ずずってすするワタシをどう思ったか、
これもわからない。
でも、ひとつだけ、ワタシの中に芽生えたワタシの明確な感情は
(隣がすすらないとすすりずらい)
というのと、
(隣がすすらなくてもすすりたい)
というのと。
そして、
(人に嫌がられることはしたくない)
というのと、
(自分のしたいようにしたい)
というのと。

蕎麦もあればラーメンもあってパスタもあって、
蕎麦には駅の立ち食いそば、そば職人が打つ日本そば
温かい蕎麦、冷たい蕎麦
へぎそば、せいろそば
カレー蕎麦、ラー油蕎麦
で、牛肉辛味つけ汁そば
みんな美味いっす。

いろいろでいいですよね。
いろいろがいいですよね。
文化もいろいろで、
人それぞれで。


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