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狂った父を支え続けたタフな美人か〜ちゃんの話


どうも!ケイです!

今回は、私の母の話をしたいと思います。

私の母は、恐ろしいくらいタフです。

どのくらいタフかというと、

倒産して多額の借金を背負って


発狂した父を捨てずに支え続け、


幼かった三人の子供を


弱音を一切吐かず立派に育てあげたくらい


母は、タフでした。


いわば、優しさと根性と努力の塊の人



朝は、誰よりも早く起きて、朝食、お弁当作り



掃除、洗濯、料理、何をしても一流



そして負けず嫌いで自分にも他人にも厳しい人でした。



父の会社が倒産した後も


私の家庭がうまく機能していたのは


母のおかげで


実際の大黒柱は、母でした。


母は、とても賢い人で


私たちに図鑑や本を与え


読み聞かせや一般教養を教えてもらいました。


また、食育に関しても力を入れており


料理に興味をわかせるように料理の仕方を教えてくれました。


ピザを生地からつくって焼き上げたり


誕生日の日には、毎回スポンジから作って


オリジナルのケーキを作ったり


ぎょうざを100個手作りしたり


ありとあらゆるものを手作りしました。


よく母は、料理をしながら、


ごぼうには、体の毒素を抜く役目があるの


じゃがいもは、南米から来たなど


野菜の栄養や歴史の話を教えてくれたり


この材料費500円で餃子100個作れるのよ!
(野菜等は祖母からもらった場合)


お惣菜もいいけど、自分達で作るとこんなに安くたくさん美味しく作れるよ


とお金や自炊のコスパの良さも教えてくれました。


材料を買って、みんなで作って食べる料理は、格別に美味しくこころも体も満たされ


しあわせな気分になりました。


私が料理好きになったのは、


母のおかげで


母が作る料理は、おいしいし愛情がたくさん詰まっていました。


そして私達の教育面もしっかりしていて


特にマナーに関して厳しかったです。


学校に行ったらちゃんと挨拶をする。


よその家に遊びに行くときは


靴を揃える


騒がない、


お茶菓子を出されても欲張って食べない


くちゃくちゃ食べない


箸は、正しく持つ



何時まで遊べるかちゃんと確認して
夕方までには帰るなど


細かいことを口うるさく言っていました。


子供の時は、そんなのどうだっていいじゃんとぶつくさ文句を言っていましたが


母が真顔で私を見て


「マナーとか礼儀と言うのは

親が徹底的に子供に教えるもの

あなたはいいかもしれないけど、

周りから教育が行き届いてないと言われて

恥をかくのは間違いなくお母さんなの」


とピシャリと言いました。


その言葉でお母さんに恥をかかせるのは確かに悪いなと納得しました。


母の教育のおかげで


よく周りの人たちから


「ケイちゃんは、挨拶がしっかりしてるし、
年齢の割に品があるよね」


とよく褒められてよそに行っても

恥をかくことは、ほぼありませんでした。



子供の時に口うるさく叱ってくれた母に本当に感謝しています。


そんな母のもとで育った家庭内の景気や


父の機嫌は、かなり最悪でしたが、


それでも母は、知恵を絞って、


ユーモアで私たちを楽しませてくれまし
た。


だけど


当時の母は、色んな事に挟まれてかなり辛かったと思います。


発狂した父と

幼い子供3人

仲の悪い両親


父と一緒に暮らすか

離婚して実家に帰るか

母は相当悩んだそうですが

迷った結果

母は、父といる事を決めました。

実家に帰った方が経済的には楽ですが

仲の悪い両親を見るのは、母にとって耐え難いことだったみたいです。

大人になった今、

電話で母にこんな事を聞きました。

「あの時どうやって乗り切れたの?」

そう言うと母は得意げに言いました。


「お母さんは、

ストレスの発散がすごくうまいのよ!

抜く時は抜いて、あとは、思いっきり寝る


1回寝たら


昨日の嫌なことは、忘れてリセットできるから


大体は大丈夫なのよ」


そして最後にボソリとこう言います。


「あんた達3人の顔を見たら自然と

頑張れたのよ........。」


と言い終わると


お母さん忙しいからまたねと電話を切られた。

自分の弱みを見せるのが苦手な母だが

私が今までありがとうと言うと

照れくさそうに笑ってた。

本当にほんとに大変な20年間だったと思う


父の会社が倒産して経営が傾いても


母は、父を捨てることなく支え、


めげることなく踏ん張った。


専業主婦から一転し


母がスーパーの惣菜コーナーで


パート勤めをした時


お局から嫌がらせにあった。


ですが、その程度で母は、めげませんでした。


むしろ母は燃え上がり


仕事を完璧にこなし、誰からも認められ


膨大な量の惣菜メニューをすぐに覚え


母が勤めた惣菜コーナーでは、惣菜に関する試験があって


それをミスなく見事に合格


母をいじめていたお局は不合格


母は正攻法でお局をギャフンと言わせた。


このエピソードを聞いたとき、


私は、こんなかっこいいお母さんのもとに生まれて誇らしいと小学生ながら思っていました。



母が勤めていた時は良いことも嫌なこともたくさんあったみたいですが、私たちの前では


一切、職場の悪口を聞いたことがないし


むしろ今日もお仕事がんばったよと楽しげに話していました。

お局の嫌がらせや

むかついた話などは私たちが大人になってから教えてくれた。

母曰く、仕事の愚痴を言う人は


仕事が全くできない二流とのこと

一方で父は口を開けば

人の悪口、会社の悪口ばっかりで

二流でした。


また母は、タイトルにもある通り


とても美人です。


ヨーロッパの血が入ってるかと疑うぐらい


ヨーロッパ系の端正な顔立ちをしている。


娘の私が言うのもアレだけど


とてもきれいだなぁと見とれるぐらい美人である。


頭が良くて


家事も何でもそつなくこなして


体も丈夫で


面白くて


絵や歌が上手で


性格は、短気で若干きついとこもあるが


愛情深くて優しい


そして何度も言うがとてつもなく美人


そんなハイスペック美人か〜ちゃんの背中を見て育ったおかげで

兄、私、妹は、グレずに全うに育ちました。

もし、両親とも発狂していたら


私たちはどうなっていたかわかりません。


家庭環境が原因で心が荒れて


ひどい暴言を母に浴びせ


たくさん困らせましたが


それでも愛情を持って母は


私のことをたくさん叱ってくれました。

今まで私を産んでくれて

私を育ててくれてありがとう

父のせいで経済的にとても苦労して

立派な一軒家から引っ越す羽目になってしまったけど

いつかまたお母さん好みの立派なおうちを建ててあげて

豪華客船や海外旅行に連れてってあげるからね


今までありがとう


そしてこれからもよろしく!












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