2020年6月 安部聡子

安部聡子

(撮影:片山達貴)

一度、多くを抱えてから投げ出して“空っぽ”になる。
安部聡子 地点(京都府京都市)


 地点の、作品の佳境であろう場面。安部聡子が膨大な台詞を、驚異的な速度と正確さで舞台上に放つ。そこから想起されるのは、「生きた楽器」のイメージだ。奏でるものと鳴り響くものが一体となり、舞台に根づいて遥か高みに言葉と音色を強く穿ち、同時にそれらは観客の耳目にも刻みつけられる。自身を、虚と実を結ぶ一本の管とするその強靭な在り様に、客席で圧倒されたのは一度や二度のことではない。
 だが、舞台を降りて相対する彼女からは微塵の威圧も感じられない。むしろ穏やかに微笑を浮かべる、真逆の佇まいに戸惑うばかり。そして取材の電話口から聴こえる、声も口調もくすくす笑いも実に柔らかだ。
「京都大学の近くに劇団の拠点アンダースローを開場したのが2013年。以来、ほぼ月1回はレパートリー作品を上演して来ました。平均月4日の上演でも、ざっと計算すると300回以上本番をやったことになる。稽古も入れると常につくり・演じている状況で、それが突然断たれた春以降はポカンとしてしまいました。でも、何もせずに家に居ることが、さほど苦ではないんです、私」
 言葉の後には(笑)では表しようのない、微かな笑みが滲んだと想像しつつお読みいただきたい。雅な語りとコロコロ笑う声、だがそこに予測不可能なタイミングで核心が差し込まれる。リモートでの本読みやアンダースローのウイルス対策について語る途中、「部屋でずっと考えていて、ロシアのことを思い出したんです」という切り出しで始まったのは、企画者の立てた問いへの答えだった。
「14年にロシアの古都ウラジーミルの演劇祭に参加し、『かもめ』を上演したんです。終演後、“50年前にニーナ役を演じた”という演劇祭関係者から“貴方の国の言葉と貴方の身体を使って、これからも良い作品をつくってください”と、言葉をかけられました。その、“私の国の言葉と私の身体”が俳優として、演劇をつくる際に大事にしたいものかな、と」
 さらにホテルに帰ったあと、彼女は窓から街を見下ろしながら「もしここで生まれていたら、この街で演劇をやっていたのだろうか」という、不思議な感慨を覚えたのだとか。
「もともと私、“演劇が好きで好きで!”という感じではないんです、映画はジャンルとして好きと言えるのですが。でも自分の中に“演劇とは何か”という問いかけが常にあり、そこに向かってしぶとく応答しようとはしている。50年前のニーナからもらった言葉は、そんな『応答』のひとつとして大事にしているもの、と言い換えることもできますし、その言葉の先に、“自分が何処に生まれても演劇をしていたのか?”という感慨のような疑問を初めて覚えたのも不思議な感覚で、そういうものを携えて次の創作に向かえるのが劇団の利点かな。どんな状況でも必死につくり続けられますからね、劇団ならば」
 映画など幾つかの例外を除き、安部はほぼ地点以外の舞台に立っていない。先の発言のように、劇団は安部の「大事なもの」の一つのだろうが、異なるつくり手や場所で演劇をやりたくはないかと問うと、「そういう欲は今はないです。それよりも劇団の、同じメンバーでつくり続けることに興味がある。ほぼ地獄のような状態ですけれど、あははははは」と、今度ははっきりと笑った。
「地点では作品ごとにルールを作り、それに則った発語や身体で演じることが多いんです。その稽古に参加した、客演の方々に何度か“地獄ですね”と言われ、劇団員たちは面白がって“ヘル稽古”と呼んでいた。でも稽古の内容より、一緒につくり続けて出がらしになった地点メンバーで、なお演劇を続けることのほうが地獄っぽいと今、話しながら思いました(笑)」
 世界的スタンダードの戯曲にも徹底的な解体・編集を加えて新たな「ルール」で再構築し、斬新な上演形態で突きつけて来る地点の作品は、観客はもちろん、演者すら役や物語に安住させてはくれない。その作品の一部として生きることは、俳優にとってどんな状態かを訊くと「空っぽ、でしょうか」との答えが。
「空っぽにでもならないと、ああいうことはやれません(笑)。でも時には“〇〇さん役”のこともあって。その場合はルールを守りつつも人物のエッセンスを届けねば、という使命感が湧いたりする。せめぎ合いですね、でもせめぎ合えば良いと思う。多く抱えていたほうが、投げ捨てた時の空っぽが大きくなりますし。その狭間で演劇とは、俳優とは何か、人間とは何かを私は考え続け、それとは関係なく一瞬の声や表情がお客様の中に残る。演劇のそういうところが面白くて」
 淡々と語られる演劇観、その過酷さに慄然とするが、もし彼女が目の前に居たとして、目に映るのはアルカイックな笑みだろう。菩薩の顔で修羅道を歩む、安部聡子の演劇は日々深化していく。

取材日:2020年6月16日(火)/大堀久美子

Profile
ABE Satoko●福岡県北九州市生まれ。山口貴義監督『恋のたそがれ』(1994年)主演を機に俳優を志す。舞台で活躍する一方、市川準監督『トキワ荘の青春』(96年)ほか、映像にも多数出演。05年、地点の俳優として活動の拠点を京都へ移す。13年にアトリエ「アンダースロー」が開場し、以降すべてのレパートリー作品に出演。映画への出演最新作に鈴木卓爾監督『嵐電』(19年 第11回TAMA映画賞受賞)。
地点note

画像2

(撮影:松本久木)
写真:地点『三人姉妹』(作/アントン・チェーホフ 演出/三浦基)
   KAAT神奈川芸術劇場(2015~)(初演)

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