長い一日の翌朝、

今、午前4時半すぎ。
目がバッチリ覚醒してしまった。

寝直せばいいのだけれど、横になっていることがキツい。
というか、起きた方がラクだ。

昨日は、長い長い、盛りだくさんすぎる一日だった。

これを読んでくださる方がいらっしゃることを考えれば、
時系列的に、分かりやすく、推敲をしながら書いた方がいい。

それは分かっているのだけれども、
申し訳ないけれども、
今、言葉にしておきたいことをここに書いておくことが、
後々、
「かくかくしかじか」を
「とりあえず、これ読んでください」で済ませられるので。

第一は、私がお世話になっている看護師さんに、事情を話すのが手っ取り早いし……その看護師Mさんにこれを読んでいただけたら、
あとで的確に主治医のM先生に総括してお伝えしてくださるので。

そして、写真上で祖母を知る人(ネット上の鍵つき掲示板サークルでの繋がりがあるお姉さま方………久留米と霧島と山口にお住まいの御三方と、まだお会いしたことのない、いつか会えたら良いと思う仙台の方)に伝えたいことを書き記しておけるので。

もしかしたら、だけど。
弟妹や姪っ子ちゃんが、これを読む機会もあるかもなので。

ぽつりぽつり、ゆっくり、綴りたいと考えている。

祖母(享年97歳、大正15年2月11日紀元節生まれ、満年齢96歳、令和4年9月29日午前10時54分、施設にて老衰で急逝)のことと、

喪主を務めた1人娘の母(昭和25年生まれ)のことと、

曽祖母を亡くした知的障害・自閉症スペクトラムの9歳の娘のことと、
躁状態の入退院経験を持つ47歳の自分のことについて。

じんわり、頭が痺れているので、
本当ならiPadの画面など見ずに、
ゆっくり過ごした方がいいのは分かっている。

けれども。

こういうとき、どうしたらいいのかは経験知として解っているので。
ぽつりぽつり書くことが(話すよりも書くことが)
一番自分が自分を元に戻せることを知っているので。

書いておくことにする。

昨日は、体感覚がおかしかった。
脳内の独り言が止まらなかった。
「まー、しゃーない」と「そいでよかが(それでいいのだ」と
「そういうもんじゃったっが(そういうふうになっている)」で
押し流しながら、祖母の支えを感じながら
過ごした一日だった。

おかげさまで、いつも通り寝たのに、月曜午前0時過ぎにオムツが濡れて泣いて起きた寝不足の娘は、すったもんだとあれやこれやとひともんちゃくはあったものの、無事に初めて公共交通機関を使って遅刻しながらも登校してあとは放課後デイサービスでいつも通り過ごせて。
保健室で食べる用に持参した朝食の残りも、給食も完食だったらしい。

今はまだ寝ている。
昨夜は漫画「よつばと!」を適当に読んでやってたら背中を向けたので、いつもの自然消灯タイマーを待たずに寝室の灯りを消したら、しばらくゴロゴロした後ゲラゲラ笑い出した。

娘は寝ながらゲラゲラ笑いをすることがたまにある。
夫は寝言で突然「お世話になります。あの、JAのー、……」とか言い出して私をギョっとさせたことがある人だったりするので、
そういう系の寝ながら笑いかと思ったら。

笑いがいつもより長いので、「なんじゃー?」と思ってたらオムツを替えてくれサインをするので、
見たら濡れてなかった。ちょっと濡れたんかなと思って拭いたが、それをオムツに包もうとしたら全然濡れてなかった。

そんなこんなで、寝息を確認したのは11時。
多分、学校から放課後デイサービスに移動中の車で深く寝たのだろう。

お風呂に入り、すぐ寝ても良かったが、どうせストンと寝られないのは分かっていたのと、娘に寝ながら髪をまさぐられてもダルいので、座椅子にもたれながら、いつも通り晩酌をする夫の話しに目を閉じたり身体を緩めたりしながらテキトー相槌を打ちつつ、薬が効いてくるのを待ちながらゆるゆるして、布団の上で首筋と背中マッサージをやってもらってから寝た。

それにもかかわらず早朝覚醒だったのは、まだ交感神経優位状態だからだと思うが、「脳内自動独り言状態」は少しマシになっていたので、まあ短いなりにほどほどは寝られたのだと思う。

今、6時前。
動き出すには少し早い……と思って、第一の目覚ましが鳴り出すことに気づいて、今こそっと布団に戻ってタイマーを止めてきた。

この文章をアップすることはやや気がひけるが、
とりあえず投稿する。

昨日はおかげさまでなんとかなった。
何度もすごいナイスタイミングで流れにのれて、なんとかなった。
そして今朝の早朝覚醒後も、こうして書きながら、呼吸を整えながら、動き出せる時間を待てた。
ばあちゃんの教えと、入退院の経験知が、
今を支えてくれている。

今日も良い日でありますように。

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