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オヤだけど、オヤじゃない。

コドモ扱いをしないという選択

母親をしないという選択


はじめに

こんにちは

今日も相変わらず無計画な
日比野です。

今回は、日比野のオヤ観をさらけ出してみます。

ここでいうコドモは、
我が家にいるコドモに対しての思考なので
未満児です。

ほかの年齢にも当てはまることがあるかもしれませんが。


母親をしないという選択

タイトルにもある
コドモ扱いをしないという選択
母親をしないという選択

母親をしないという選択は、
以前にも少し触れましたが
人生まだまだ未熟者な日比野には母親という理想像は
あまりにも遠く
「コドモがいても一人の女性でありたい。」
「私はワタシだ、日比野だ。」
という風にとりあえずは考えています。
(もしかしたら今後の人生の中で変化していくかもしれないが)


やるかどうかは、コドモ次第だ

もちろん
コドモ氏が
「ママ」「カーチャン」と呼びたければ否定はしないし
「もっと母親らしくしてよ」といわれれば全力で母親役をかってでる。

つまりのところ
コドモ氏と日比野の間柄は
まだまだその段階ではないのだ。

だからこそ
一人の人間として日比野役を生きている

親って
きっと意識しなくても親してるから
意識したらとんでもなく親っぽいことをするんだろうなとか思う。

私はコドモの時に
コドモは親の所有物だという感覚に陥ったことがあるので
きっとコドモ氏の所有権を握りたくないのだ。

日比野とコドモとの関係は
オカタイ書類上では母と子であり
コドモ氏は私に付属して書かれているが
本人としては事実婚のような認識でいる。


理想のママと日比野の違い

SNSでみる親たちには尊敬の念すら覚える。
コドモを育てながら
仕事や自分のこともして
家族の世話もして
写真を撮って
文章を考えて
分かりやすく情報を教えてくれていて

何より
それを継続しているところが素晴らしい。

日比野にとって、
継続が1番難しいことだからだ。

正直苦手だ。

さらには
やることが多すぎると
消化できなかったり思い通りに進められなかったりで
イライラしてしまう質なので
心安らかにたくさんのことを脳内につめこめないポンコツなのだ。

なので、
自分と母親役が共存できないのだ。


できないことはしない

できないものをするのは気合とHPがいる。
そして
コドモには当たってはいけないというストッパーもある。
それはそれは
イライラするのが目に見えている。

だからしない。
できないことはしない。

やったところで
完璧を続けられないのならやらないほうがいい。

これが日比野だ。
母親をしないという選択だ。

できる人は無意識にできているし、
母親できるにこしたことはない。
そんなママたちを見て素敵だなと思う。

ただ日比野のような人も少ないだろうがいるのだ。

一生やらないのではなく、
求められたら応えるし
心に余裕があればできないこともない。

ただ私にとって今できる最良の選択ではないと思っている。

長くなってしまったが
オヤだけど、オヤじゃない。
と思いたい

そう在りたい日比野でした。


書ききれなかった
コドモ扱いしない選択は
また次回に。


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