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私が死んでも代わりはいるもの。

 たくさんの同級生を好きになった高校時代は、ゲイである自分を受け入れるため、ゲイとしての活動を開始した時代でもあった。わざわざ地元ではなく、繁華街の大きな本屋にゲイ雑誌を買い求めに出向き(今思えばゲイ雑誌の存在はどうやって知ったのだろう)、寮の部屋は二人部屋だったので、相方がいない隙を狙って隠れて読んでいた気がする。今は無き雑誌の文通欄を使い、自分以外のゲイの人と会った。何度かやりとりして初めて会ったのは、自分が住む町から300kmほど離れた町に住む、教師をしている年上の人だった。その人とは何回か会ったくらいで会わなくなった。ねぇ好きって何だっけ?思い出せないよ…思い出せないよ。

 割とバレバレなアピールをしていたこともあり、同級生のゲイとも仲良くなった。Yだ。経緯は忘れてしまったが、いつの間にかお互いをゲイだと認識して連むようになり、情報交換やお互いの恋愛話をしたり……今思えばこの存在に助けられたな、と思う。ただしお互いにタイプが異なっていたし、Yは自分ほどはゲイである自己を認められていなかったから、お互いに恋愛になることは無かった。奴は何度も女子と付き合おうとしたし、でも結局ゲイなのである。性的対象は男だし、それは一番身近な自分へと向けられた。まぁ仲の良い、セックスもする友達同士になったYと自分は、その後同じ大学に進学し、卒業までそんな感じの友情が続いていた。ただその時もその先も、自分が好きになるのは女の子を好きになる男の子だったし、自分にとっての性的興奮を喚起させるのは「ノンケに抱かれる」っていうイメージでしかなかった。

 そんなこんなで高校3年間は、ゲイである自己の同一性の確立と葛藤、ただひたすらにあふれ出す性欲と、抑えきれない同性への思い、それは満たされず鬱積していくばかりだった。そして元々地元から出るつもりのなかった自分は、地元の大学に何となく進んだ。

 大学では先述のYを中心にお互いの交友関係が広がり、何よりインターネットの力を手にした自分は、掲示板なんかで同年代のゲイと出会ったり、初めて夜の街に出たりと世界が広がった時期でもあった。そして別の大学に通う2つ年上のMと付き合うことになる。当時は彼のことを好きだと錯覚していたし、思い込もうともしていた。今思うとモテそうな容姿ではあったが、人間性が全く尊敬できない相手で、しかも友人のYのことを気に入っていたようで何やらよろしくやっていたのですっかり気持ちも冷めてしまい、連絡を取らなくなり、自然に終わった。それでもいつか、少しの私らしさとか優しさだけが残ればまだラッキーなのにね……。

 そんな中自分はアルバイトを始めた。店舗のオープニングからのスタッフ同士で異様に仲が良く、自分のホモキャラもまぁからかわれながらも受け入れて貰い、そこでリーダー的な存在のSのことを一気に好きになった。ありがとう、君がいてくれて本当よかったよ…ってな感じで、まぁいわゆるドノンケで典型的な男子!って感じの奴で、多分自分の人生の中で、あれほど盲目に誰かのことを好きになったことはないってくらい、Sに恋していた。Sに服を脱げと言われれば全裸になって雪の山にダイブしたし、良く殴られたけど愛があるから許せたし、それに応えるのも嬉しかったんだよね。なんか典型的なDV被害者気質と思われるかもしれないけど、確かに愛はあったんだよ、お互いに(マジで!)。性と結びつかない愛がね。今思えばこんな自分をある意味では受け入れてくれたし、肯定してくれたはずなんだけど、自分が求めるいわゆる恋愛関係ではなかったから、勝手にフラストレーションをためて、独りよがりに求めるばかりだったと思う。どうして私じゃだめなの?どうしてこんなに好きなのにどうして私に嘘つくの?どうして?どうして?どうして?どうして!って感じで発狂してしまっていたな。反面ひたすらに自分を殺して相手のいいなりになることが自分の恋愛のやり方なんだと思い込んでいた。

 自己主張をせず、ひたすら相手に合わせるそのスタンスは、結局自信や自尊感情のなさ、自己肯定感の低さから来るもので、そんな人間に魅力を感じる人間がいるはずもなかった。ただ相手を征服したい、思い通りに操りたい、言うことを聞かせたい……という様な人には都合の良い相手だったのだろう。その後付き合った相手でも、言うとおりにしても手を上げられたり、尊厳を踏みにじるようなことをされることもあった。……と自分の不甲斐なさを正当化してみたり。

 とにかく色んな人間に勝手に恋して、勝手に傷ついて、そんな独りよがりな恋愛?かもどうかも怪しいものを継ぎ接ぎしながら、自分の恋愛観は形成されていったのも、まさにこの頃の時期だったんじゃないかな。理想を言えばunconditional loveだけど、現実はただただ恋は盲目で割と最近まで、自分の恋愛観は椎名林檎の依存症まんまな感じだった。

あたしが此のまゝ海に沈んでも何一つ汚されることはありませぬ
其れすら知りながらあなたの相鎚だけ望んでいるあたしは病気なのでしょう
どれ程若さの上に丸で雲切れの笑顔を並べど変わりませぬ
孤独を知る毎にあなたの相鎚だけ望んでいるあたしはあたしは
あなたの其の瞳が頷く瞬間に初めて生命の音を聴くのです
天鵞絨の海にも仕方のないことしか無かったらあたしはどう致しましょう
翻弄されているということは状態として美しいでしょうか
いいえ綺麗な花は枯れ醜い過程が嘲笑うのです…何時の日も

 最近までこの恋愛観が更新されなかったのは、それからの10年以上がまさに自分にとって「失われた10年」だったから。今となってはそんな10年にも意味を見いだせるが、とにかく地獄だった。卒業、なんとか就職、付き合った相手がDV男、職場の長にいじめられ抑うつ状態となり、薬物依存に自殺未遂、からの半ば自暴自棄な家族へのカミングアウトとその後の面倒、そして長い引きこもり生活。たとえばぼくが死んだら…だけどなぜだかこの頃のことは、他人事で離人感が強く、今でもあんまり詳細は思い出せない部分も多いんだよな。

 とにかく他人や外部との接触をひたすら拒み、誰とも関わりたくないし早く死にたい消えたいと思っていた毎日のはずだったのに、ネットがあったから完全には人の世と隔絶されることなく、結果として死ぬことなく生きながらえることが出来たんだろう。そして、自殺志願者が線路に飛び込むスピードで社会との関わりを再開した自分が何となく選んだバイト先が、学生時代お世話になった店長で、その人が立ち上げた社内の新しいベンチャーに誘われ上京することとなった。まぁこんなことでもなければ地元を飛び出すことなんて無かっただろうから。

 また話が脱線してしまったが、とにかくそれから仕事中心の生活で、プライベートなんてものはまるで無かったな。あちこちを転々とし、他のゲイと会うこともなければひたすら職場と寝床との往復だった。その後都内に異動となるも、せっかく社会復帰したのにブラックな労働環境に苛まれ、またもや精神衛生上よろしくない状態に陥っていた。

 そんな状況を救ってくれたのもネット、というかSNSというかTwitterかな。普通に生きていれば絶対に出会わない様な出自や経歴や価値観の違う色んなゲイと出会って、かなり拗らせながらも人との関わりを覚え、恋愛をし、自分のために生きようと思えるようにまで人間らしさを取り戻せたのは、他でもない他人との関わりだったと思うし、私と関わりを持ってくれたすべての人に感謝したいと。今だからこそ、そう心から思える。

 そして恋愛観の話のはずが、結局自分の半生と向き合う感じの手記になってしまっているが、それは喪失期間が長すぎることによる圧倒的な経験不足によるもので、現在の自分の恋愛観を語ることができるまでには、もう少し時間と経験が必要なのでした。

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