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平成初期、あたしは幼児

平成初期。

 僕は平成5年に生まれた。辺鄙な田舎。夏は涼しく冬は厳しい土地だった。父親と母親との恋愛はかなりの大恋愛だったと母の語り口から想像に難くはなかった。父親はシャイなのでさも面倒臭そうにそれを語っていた。本当の所は当時の本人達にしかわからない。ただ確かなのはそんな恋愛も結婚生活が長く続くか否かには関係が無いと言う事だ。父と母は平成の前半で離婚する事になる。

 先の投稿で、僕は母親に似た恋愛のスタイルをしていると書いた。それだけではなく、物事の判断や捉え方、行動様式や発言もかなり似ている。とは言ってもそれは大人になってからの事で、子供の頃(と言うか、成人するまで)の僕は父親に瓜二つだった。シャイで内気で負けず嫌い。プライドは人一倍高い男の子だった。

 平成初期の頃。つまり、僕が保育園に通って小学校へ上がるくらいの物心のつかない頃。僕には好きな女の子がいた。今思うと、彼女を好きだったのは本心からではなく、見た目が可愛いかった事と、それから「男の子は女の子を好きになる」と言う思い込みからだった様に思う。なぜなら僕はゲイだからだ。僕はシスジェンダーのゲイ男性だ。

 大人と言うのは時に子供より無邪気に人を決めつける。この先、価値観のアップデートを怠るとかつての大人たちと同じようになんの悪気もなく「保育園で好きな女の子はいるの?」に類似する価値観の刷り込みを行うような質問を子供にしてしまうのだろう。当時の僕は"知って"いたのだ。女の子には必ず好きな男の子がいて、男の子には必ず好きな女の子がいることを。内気で大人しくシャイで心優しい僕は、持ち合わせた負けず嫌いと大人への配慮から「ナナセちゃんが好き」とわざわざ恥ずかしそうに言っていたのを良く覚えている(しかも大人たちを落胆させないように可愛い女の子をわざわざ選んで!)。物心がつくのは遅かった割に、こう言った違和感に関する記憶だけは鮮明に覚えているのだから、人間と言うのは根に持つのが得意な生き物なのだろう。(僕だけかな?)

 当時の僕は、男の子にも女の子にも全く興味がなく、シロツメクサを集めては原っぱに投げ捨て、ナズナの実がなって枯れる頃にはカラカラとそれを鳴らして遊ぶような子供だった。蟻の巣の入り口を塞ぐような暗くてわんぱくな子供だった。その割には本の趣味がややフェミニンかつファンシーな子供だった。一番好きだった絵本がのんたんシリーズとわたしのワンピースだった(わたしのワンピースは主人公の着ている真白なワンピースが景色をうつしてどんどん変化していくというストーリー)。

 そういえば、ウルトラマンにも仮面ライダーにも全く興味を示さなかった。ただ唯一好きだった戦隊モノが魔法戦隊マジレンジャーと言うこれまたややファンシーな物だった。ニチアサはおじゃ魔女どれみが大好きだったし、その後の明日のナージャも大好きだった。それに対して父親はとやかく言ってきたけれど、母親は特に何も言わなかった。と言うのも、54歳(平成31年現在)の母が小さな頃に好きだった物が初代仮面ライダーと鉄人28号だったからだ(家には母が大切に取っておいた鉄人28号のプレートと鉄腕アトムのスプーンがあった)。食器までは買ってもらえたけれど、変身ベルトや鉄人28号を操縦するリモコンのおもちゃは買ってもらえなかったと言う話を何度か聞いている。これも血なのだろうか。もしもジャンヌ・ダルクが男の子を生んでいたならその男の子はりゅうちぇるになっていただろうか。

 負けず嫌い故に鬼ごっこもドッチボールも大嫌いで、それでも友達とのコミュニケーションのために参加していた。争うのなんか馬鹿らしいと斜に構えたスレた内向的なクソガキだったのを明確に覚えている。あの頃から根っこの部分が少しは変われているのだろうか。少なくとも表面上は変わったけれど。

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