平成元年、あたしはまだ糖
平成元年。
僕はまだ糖だった。それと同時にタンパク質でもあった。僕はまだ自然の一部だった。父親と母親とそれぞれが摂取するであろう、米や小麦や上白糖や牛や豚や鳥だった。デオキシリボ核酸として生を受けるのは確か着床の2日前。誕生日から逆算すると――これは止めておこう。ひどく下世話だ。
平成元年。僕が生まれる5年前。僕が生まれたのは1993年の1月。ちょうどその夏には「夏の日の1993」がリリースされた(はずだ。多分)。脱いだらチャーミングなんて抜かす男に愛される女が哀れで堪らない。僕が女だったらフェミニスト団体に直行モノだ。みんなは服の上からでも愛しなよ。女はカラダじゃない。一人の人間だ。
そんな価値観の中で恋愛していたのが私の父マサオと私の母ハナコである。夏の日の1993が大ヒットしてしまうような、りゅうちぇるが時の人となった現代から考えるとありえないほどの男尊女卑の時代に二人は出会い、恋に落ちた。母ハナコの一目惚れ。父マサオは息子の僕から見てもいい男なのである。かの男尊女卑の時代にイケイケドンドンで父マサオを攻略したのだからハナコは大した女である。きっと彼女はジャンヌ・ダルクの生まれ変わりなのだろう。父マサオは福山雅治をションベン臭くして貧乏くさくした姿によく似ている。
父マサオは寮生活をしていた。マサオは社員寮で毎晩死ぬほど酒を飲みアルハラに耐えた(父マサオは後輩や私にも汚い酒の飲み方を強要する。父マサオがアルハラに耐えていたと言うのはそういった事からの憶測だ)。そんな愉快な寮生活の中、いわゆる合コンにて幼稚園教諭のハナコとエンジニアのマサオが出会うのである。吉祥寺生まれ吉祥寺育ちのお嬢様ハナコ。田舎者ヤンキーのマサオ。辺鄙な田舎でなぜか恋に落ちる二人。ハナコからの鬼電。と言っても、当時は携帯電話などないのでマサオの暮らす社員寮の代表電話への鬼電である。夜毎に寮内放送で呼び出されるマサオ。心底同情する。そして、そんなハナコと恋愛のスタイルが全く同じ僕自身にも心底同情する。僕が恋愛を始める年齢の時にはもう既に携帯電話があったので、不便さの中から生まれる駆け引きなどとは無縁だが、ハナコからこの話を聞く度に「もっと恥じらいを持って恋愛をしたら?」と思ったものだ。がしかし、いかんせん私の母だ。恥じらいなどあるはずもない。
僕が生まれるのはそんな恋愛から2年後、マサオとハナコが一旦別れてから復縁した次の冬である。そう、僕がデオキシリボ核酸として生を受けたのは着床から2日前――これは止めておこう。ひどく下世話だ。
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