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追々の老い 1「祖母の老い」

 つれづれつづり第4回となりました。今回のテーマは「老後」。いくつかテーマの候補を出し、その中から投票をしていくのですが正直なところ「老後だけは嫌だな」と思っていました。皆さんきっと真摯に向き合って書いていらっしゃることでしょうが、どうしても目をそむけたくなって「その時に考えればいいや」となってしまうのが常です。しかし遠からずやってくるそれとは若いうちに向き合って考えて準備しておかなければいけないものだとも重々わかっています。それでも決して明るい未来があるとは思えない自分には、開ければ瘴気に当てられてしまいそうな、恐ろしい箱のように見えるのです。
 家系の話からしますと、母方の祖父は私が生まれる前にがんで他界。それ以外の祖父母は押し並べて百歳近くまで生きている(生きていた)比較的長寿のようです。けれど、私はそれを喜ばしいとは思えません。なぜなら、長寿の現実を目の当たりにしてきたからです。長寿大国日本。それがあんなにも残酷なものだとは思っていませんでした。

 仕事の中編でもさらりと書いていましたが、私が高校生くらいから祖母の介護が必要になり、母はたびたび祖母の家へ行っていました。年々要介護度は上がっていき、私が成人を過ぎたころには痴呆も発症し、意思の疎通も難しくなっていきました。持病もあり、緊急搬送されては「そろそろだめかも……」という話をしていました。
 しかしまぁなんとも生命力の強いこと。もうさすがにだめかな と思っては退院し、自宅での介護を続けることになりました。しかし退院をしたからと言ってめでたいことは何もなく、寝たきりになってからは床ずれも増え、帰ってくるたびに痴呆は進み、固形物を摂取することもできなくなっていきます。
 あの状態を生きていると呼んでいいのでしょうか。言葉を発することもほとんどなく、好きなものも食べられず、自由もなく、一日のほとんどを寝て過ごす。あの壮絶な光景を目の当たりにして、長生きすることに希望は抱けなくなりました。
 祖母はそれなりに健康に気を使っていた方だと思います。そもそも肉類や油ものは好まず、野菜や煮物を食べ、介護が必要になるまでは畑仕事に勤しんでバイタリティ溢れる人でした。いつも優しくて、自分のことよりも誰かの事を思いやる慈母そのものです。(慈祖母?)
 10年ほどの在宅介護の末、最後は家族に囲まれ、穏やかに逝去しました。
 悲しくないわけではないけれど、もっと生きてほしかった とは誰も思っていなかったはず。こんな状態でずっと生きさせていることが、誰にとっても負担になっていました。
 誰しも老いは迎えることでしょう。そして今、祖母と同じ状況で生きている人もたくさんいます。生きていることに間違いはないし、表に出ないだけで心の中がどうなっているかはその人にしかわからないので安楽死を安易に認めるわけではありません。けれどせめて、自分の意思があるうちに死が訪れることが本当の報いになるのではないでしょうか。

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