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働きたくない ~中編 無職~

 つれづれつづり テーマ「仕事」中編です。
 昔から職業に対してのイメージが湧かないまま大人になってしまいました。「好きなこと」に身を投じてがむしゃらに生きる覚悟もできず、興味はなくてもお金のためと割り切る事もできず、結局宙ぶらりん。働かずに済むならそれに越したことはないと本気で思っているのですが、あくまでもそれは収入があるという前提の話でして。
 かつても触れたとおりの「働きたくないと言いつつも本当に働かなくなったら」が今日のお話です。

 人生で二度ほど、それぞれ一年弱無職期間がありました。幸いにも実家暮らしだったので路頭に迷うことはなく、雨露に濡れる心配もない生活でした。ただそれは本当に最低限の話です。この先の見通しが立たない以上豪遊する事はできません。すねをかじると言っても実家が裕福なわけではないので携帯やインターネットの通信費は自分で払っていましたし、ただ生きているだけでもじわじわと預金は減っていきます。
 そしてこれも幸いと言えるのでしょうか、私は小さい頃から家事の手伝いをしており、炊事洗濯掃除一通りの事は人並み程度にできていたのです。二回目の無職の際は折しも私の母が近くに住む祖母の介護に忙しい時期であり、一日の大半を祖母の家で過ごしていました。そこに「家の事をやる」という居場所が作られてしまったのです。
 その居場所があったから一年近くもずるずると無職を続けてしまったという見方もできるかもしれません。ただ、私はこの「居場所」すらなかったらもっとひどい事になっていたのではないかと思います。
 その小さな居場所がある時ですら「仕事をしていない自分」を責めて希死念慮に片足を掴まれていましたから。

 ただただ一歩を踏み出すことが怖かったのです。その仕事をうまくやれないかもしれない。職場の人間関係になじめないかもしれない。異性愛者の振りをしきれないかもしれない。体力がついていかないかもしれない。そういう不安な事がいつも私の足を竦ませます。

 必要以上に家族の役に立とうとしていました。朝早く起きて、朝ご飯を作って、希望があればお弁当を作って、台所を片付けて、洗濯をして、昼ご飯を作って、買い物をして、夕飯を作って……。そういう『仕事』をすることで仕事をしていない罪悪感を紛らわせていたのです。言い訳を作っていたのです。責められたときに「でも」と言えるように。
 家族には感謝されましたが、そう言わざるを得なかったのではないでしょうか。本当のところは分かりません。

「働きたくない」と今でも思いますが、その一方で「働かない」という事の怖さもしっかり覚えています。世界の破滅ばかりを願うような日々にはもう戻りたくないものですね。

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