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特別な夏

2020年8月初旬。
同棲している彼氏が新型コロナウイルスに感染した。

同棲しているゲイカップルが感染したという話は、母数が少ないので当然かもしれないけれど周りではあまり聞かず、同じような状況で暮らす誰かの参考になるかもしれないという思いと、コロナに対して改めて考えるちょっとした契機になればという思いから、書き残しておきます。


最初は夏風邪のような微熱と咳だったのであまり心配はしていなかった。
ところが数日経っても37度前後の熱と咳が続いたので彼に近所の病院に行って検査を受けてもらったところ、「大きな病院で検査することになったので車で送ってほしい」と電話があった。
レントゲンの結果に肺炎の影が見られたため、PCR検査を受けられる病院できちんと検査する必要があるらしい。
陽性の疑いがあるため、公共交通機関やタクシーは使えないらしく、慌ててカーシェアで車を借りて迎えに行く。
彼をピックアップして隣町の感染症指定医療機関に連れて行く間、窓を全開にしてひどく咳き込んでいた。呼吸も浅く、普段の半分ほどしか息が吸えないらしい。少し前までは症状も落ち着いていたのに、明らかに急激に悪化している。

検査が可能な病院に彼を送って僕は家に帰り、検査の結果の電話を待つ。
カーシェアで借りた車はアルコールで念入りに消毒して返却した。
気が気じゃない状態で2時間ほど待っていると彼から電話があり、結果は陽性でそのまま緊急入院になるとのこと。
入院に必要な荷物を持って行こうとしたものの、僕は濃厚接触者なので病院に来てはいけないらしい。荷物は宅配便で受け取れるそうなので、翌日発送することにした。
近所の病院に行くだけのつもりでほぼ何も持たずそのまま入院になったため、iPhoneの充電もできない。とりあえず事務的なやり取りと励ましのメッセージを送った。

入院の手続き等が完了して、時間はもう23時に近くなっていた。
休日の夜遅くまで対応してくれた医療従事者の方たちには頭が上がらないし、どこの病院もこういった状況が続いているんだろうなと改めて感じた。
iPhoneの充電器は翌日看護師さんが買ってきてくれるらしい。バッテリーが切れそうなのでそれまで電源を切ってもらい、それから連絡は取れなくなった。
連絡が取れなくなった途端、一気に不安が襲ってくる。
容体が急変する感染症だと聞いていたこともあり、最悪のケースが何度も頭をよぎる。いくら重症者数や死者数が少なくても、当事者にとってはゼロかイチなのだ。
病院に送って行った時の辛そうな姿が、最後に見た姿になるかもしれない。
そんな不安に何度も涙して、その日はろくに眠れなかった。

彼氏の陽性が判明したことで、今度は自分も家庭内感染をしないように警戒しなければならない。今のところ自分は熱も咳も出ていないけれど、無症状感染しているのか、これから発症するのかも分からない。
共用部のドアノブやリビングなどをアルコール消毒し、冷蔵庫の中の飲みさしなどもすべて捨てた。
普段から寝室は分けており、入院前まで彼はほぼ自室で過ごしていたので、幸いにもゾーニングは容易だった。
セックスレスだったことが幸いして自分には感染しなかったのかもなと考えると、感染症は皮肉なものだなと思った。

入院用の彼の荷物をまとめるために、マスクとポリエチレン手袋を身に着けて彼の部屋の前に立つ。ドアの隙間からどんよりした空気と、彼の匂いが漂ってくる。
彼の残り香をまとうこの空気にもウイルスも含まれているんだろうか。
自分の体の中にも、既にウイルスはいるんだろうか。
ドアを開けて息を止めて部屋に踏み込み、素早く荷物を回収して窓を開けて換気をし、それからは部屋に立ち入らないようにした。
残されていた彼の洗濯物を畳んでいると、もう帰ってこないかもしれないという不安が襲ってきて、また涙が出た。

入院翌日の午後、やっとiPhoneの充電器を入手した彼と連絡が取れるようになった。荷物の送付先を聞いて荷物を送り、症状は落ち着いていることを聞いて、ひとまず安堵した。
とはいえ当然見舞いにも行けず、急に容体が悪化して連絡が取れなくなることが怖かったので、朝晩はおはよう・おやすみのメッセージを送り合うことにした。なんだか付き合いたての頃に戻ったみたいで少し笑った。

彼がいない家で家庭内感染に留意しつつ、ひとりで過ごす日々。
普段は狭いと思っていたマンションも、ひとりには広すぎる。
少ない洗濯物、減らない食材、がらんとしたリビング。
ベランダの植物に水やりをしながら、「もし自分も感染して入院したら、誰も水やりできずに枯れてしまうんだろうな」なんてことを考える。
ペットや子供がいる家庭だったら、もっと大変だろうなと思った。
毎朝検温して、自身の発症に怯えながら数日を過ごした。


入院から数日が経ち、お互いに精神的な余裕が出てきたところで、現実的な問題も考えなくてはならない。

保健所にはこちらからの電話はまったくつながらなかったものの、週明けに保健所の方から電話があった。
感染者とその濃厚接触者に順番に電話をして、状況や行動履歴のヒアリングと今後の流れについて説明をしているらしい。
濃厚接触者にあたる僕は、陽性者である彼と最後に接触した翌日から14日間は「健康観察期間」として、外出や人との接触は避けないといけないらしい。食料の買い出しなど不要不急の外出は認められるので、生活にはそこまで困らなかった。
僕が無症状感染している可能性もあるので、無症状感染者向けのPCR検査の予約をした。PCR検査の結果が陰性で、14日間発症がなければ自粛からは解放されるらしい。
彼との関係について聞かれたので、「同居のパートナー」と答えたところ、それ以上何もつっこまれなかった。おそらく察してくれているのだろう。ずっと電話対応に追われてストレスが溜まっているだろうなと思っていた保健所の人たちも、電話ではとても丁寧で優しい語り口調で救われた。

仕事に関しても、彼は当然しばらく出社不可。
僕は幸いにも在宅勤務をしていたので、自宅から仕事を続けた。
会社では「彼女と籍を入れず同居している」という体にしていたが、関係性の説明や万一のケースに備えて、上司には男性の恋人と8年間同棲していることをカミングアウトした。
幸いにも上司は理解がある人で、すんなりと受け入れてくれた。先の保健所の件といい、同性愛者が身近にいることは昔ほど驚かれなくなっているのかもしれないなと思った。
自分の努めている会社は、念のため当面は全員出社禁止となった。

陽性者が発症する2日前から接触していた人は濃厚接触者にあたるらしく、彼の職場では数名が濃厚接触者に該当して14日間出社できなくなったとのこと。自分と違い在宅が困難な職種のため、現場は大混乱しているらしい。
発症前から感染力があり、濃厚接触者になるだけでもこんなに長期間制約を受けて大変なことになるのかと、改めてこの感染症の厄介さに気付かされる。
彼の体調が悪くなってからは飲み会などの予定もすべてキャンセルしていたので、幸いにも友人の中には濃厚接触者はいなかった。

感染経路については結局今も特定されておらず、保健所から明確な回答がある訳でもない。発症前の1週間は職場に通勤しているだけで飲みに行ったりもしていなかったので、おそらく職場でもらってきたのだろう。
やましい行動をして行動履歴を隠した結果の「感染経路不明」だけでなく、普通に通勤して仕事をするだけで感染した「感染経路不明」も多いのかもしれない。
毎日発表される新規感染者数の内訳に目を通す。
この中に彼も「30代・男性・軽症・感染経路不明」とカウントされているんだろうか。
こんなに大変な目に遭っても、集中治療室や人工呼吸器を必要としていないので、分類としては軽症か中等症なのだろう。

どんな薬を飲んでいるのか彼に写真を送ってもらったら、ニュースでよく見るアビガンだった。あれこれ騒がれていても実際に投与されて症状が治まるのであれば、当事者にとっては救済だ。
入院や薬の費用、自身のPCR検査費用などお金の問題も気にかかったけれど、自治体が全額負担してくれるらしく安心した。

彼の体調も少しずつ回復し、入院している彼と同室の患者も少しずつ退院していってるようで、不安からも徐々に解放されていった。


彼が緊急入院してから5日目に退院が決まった。
思っていたよりも早くて驚いた。
発症から10日経過して容体が安定していれば、他人を感染させるほどの量のウイルスは残っていないので、検査で陰性が出ずとも退院となるらしい。タクシーを使っても構わないので、タクシーでひとりで帰ってくることになった。

家のドアを開けて帰ってきた彼の姿を見た途端、お互いに安堵して涙がこぼれて、マスクをしたまま抱き合って泣いた。
少ない病院の食事で体は目に見えて痩せ、1週間まともに会話をしておらず咳で弱った喉から出る声はかすれていて、あまりの悲愴さに胸が詰まる。
胸の中で「怖かった」と泣く彼に、「もう大丈夫だよ」と声をかける。
自分にも言い聞かせるように。
もう大丈夫。


退院してからも2週間は自宅で安静に過ごさないといけないらしく、彼はさらに2週間の自粛生活を余儀なくされた。
さらに、僕が無症状感染者で彼に異種のウイルスを感染させてしまう可能性もあるため、僕の健康観察期間が終わるまでは自宅でも接触を避け、家庭内感染に注意しながら過ごさないといけないらしい。

食事は別々にとり、洗面所のタオルとコップは分け、リビングを使用した後はテーブルをアルコール消毒する。家でも会話する時はマスクを着ける。
彼も退院したとはいえ咳はまだ続いており、感染するリスクは少ないと医師に言われていても不安は拭いきれない。
かなり神経を使う状況ではあったものの、それでも入院中の辛い環境に比べると遥かにましだった。

数日後、僕も無症状感染者向けのPCR検査を受けた。
管轄の保健所の営業時間外に実施しているらしく、電車で郊外の保健所に向かう。夜の保健所の地下駐車場で実施している検査は、まるで世間の目から隠された秘密の会合のようだった。
検査の予約が取れたのが数日後だったので混み合っているかと思ったけれど、他の受診者はおらず鼻の粘液を採取してあっけなく終了。
夜とはいえ真夏の熱帯夜の地下駐車場で、防護服とフェイスシールドを身に纏って暑そうな保健所の方たちは、ここでも優しく対応してくれた。
業務時間外や休日にも関わらずこういった対応をして、コロナがいかに保健所や医療従事者に負担をかけているのか思い知らされる。
早く彼らが解放されるように、感染を減らすように努めたいと強く思った。

数日して保健所から電話があり、PCR検査の結果は陰性だった。
なんとか家庭内感染は免れたと安心し、あとは健康観察期間が終われば自分は今までの生活に戻れる。


そうしてまたふたりの自粛生活がはじまった。
当面の予定はすべてキャンセルし、外食もできないので家での食事のみ。
二人だけまた緊急事態宣言下に戻ってしまったみたいだ。

お盆ということもあり、SNSでは旅先やイベントでの集合写真など、華やかな投稿が目立つ。
「人との接触を控えていた自分たちがなぜこんな目に遭って、
 いろんな人と会いまくっているこの人達はなぜ感染しないのか。」
と理不尽に思ったりもしたけれど、こればかりは運なので仕方ない。

一方で、「コロナはただの風邪」と未だに言っている連中がクラスターフェスというイベントを計画しているニュースを見て、怒りが湧いた。
なんて想像力の無い人たちなんだろう。
軽症と分類されても肺炎のような症状で苦しむ場合があることも、
退院後も後遺症で長期間悩まされる可能性があることも、
感染者だけではなく濃厚接触者も長期間拘束されてしまうことも、
医療従事者がどれほど心と身体をすり減らして対応しているのかも、
すべて想像ができないのだろう。
どうして今まで感染拡大しないように努力してきた多くの人たちの気持ちを踏みにじる行動をするのか。まったく理解ができない。
「お前達が実際に感染して、医療従事者に助けも求めず、苦しめばいい」
そう思った。


彼氏の発症から3週間、退院から2週間ほど経とうとしている今。
僕の健康観察期間も終わり、やっと彼と一緒に食事ができるようになった。
彼の咳はまだ完全には治まっていないけれど、後遺症は見受けられず、今のところ生活に支障はない。
咳が残っているので出社は当面難しく、彼の職場では誰が感染したかの犯人探しのようなことも起きているらしい。
PCR検査を受けて退院した訳でもないので、「本当にもう感染していないのか」という証明を出せと言われても難しい。そもそもPCR検査自体の精度が7割ほどで発症期間にしか反応は出ず、抗体検査も精度が疑問視される状況で、「もう感染していないこと」の証明は困難だ。

この感染症は、症状よりもメンタル面での負荷が大きいことを痛感した。
重症化率が低くても、罹患した時の精神的負担や拘束時間はインフルエンザの比較にならない。
とにかくまだまだ未知のことが多すぎる。
病院という死の影がちらつく環境で過ごす恐怖。
急に容体が悪化する恐怖。
後遺症の恐怖。(身近で実際に味覚障害が残っている方の話も耳にした)
無自覚のうちに身近な人に感染させてしまうリスク。
職場や近隣住民からバッシングを受けるリスク。
感染していることを公にしてSNSで叩かれるリスク。
外出自粛が長期間続くことで気が滅入るし、発作的な咳が出るので外を歩いていても人目を気にしてしまうため、自粛期間が明けてもしばらくは積極的に人に会おうという気も起きない。

「感染=悪」と捉えられ犯人探しに躍起になるような状況が、感染拡大防止の一番の敵ではないかと思う。
感染した事実を知られたくないので、検査を受けなかったり、感染したことを隠し、感染が拡大していく。
「正しく怖がる」ことの大切さが、まだまだ浸透していないように感じる。

もちろん過剰に感染を恐れて経済活動を停める必要はないし、今は感染防止に努めつつ経済を回していかなければいけないフェーズだと思う。
とはいえ、まったく警戒をせずにいろんな人に会いまくっている人を見かけるとどうかと思うし、いつも会うメンツで飲みや旅行に行って接触人数を減らすくらいの意識はまだ必要ではないだろうか。
「自分がもし感染した場合、家族や濃厚接触者にも2週間の自粛を強いることになる」という覚悟を持って、接触人数と感染率を減らすように努めるべきだと僕は思う。
この投稿を読んでくれた方に、「感染すると思ったよりも大変な事態になる」ということだけでも伝わればと願います。


都知事が「この夏は特別な夏」なんてことをテレビで言っていた。
ああ、本当にその通りだ。
こんな夏、二度と味わいたくない。

長すぎた8月がやっと終わろうとしている。
日差しも和らぎ、特別な夏が過ぎていくのを感じる。

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