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平成中期、初恋

平成中期。

当時世を騒がせていた、ガングロギャルやテレクラなどとは無縁な片田舎で、僕は思春期を過ごした。
ヤンキーが窓ガラスを割って周るようなこともない、平和で穏やかな学校。そんな学校の中でも、徐々に「生き辛さ」を感じ始めるようになる多感な時期。

中学生の頃は同性に性的興奮することを何となく自覚していたのが、高校生にもなるとそれは性的志向だけではなく恋愛感情の対象も同じだということに気付いてくる。タイプの友人や先生を、性的な目で見てしまう。プールの着替えや銭湯で、男性の裸が気になってしまう。女性を性や恋愛の対象として見ることができない。もちろんそんな悩みは親にも友人にも言うことができなかった。

その頃のテレビで見かける男性同性愛者は、「ホモ」や「オカマ」として笑い者にされる人ばかりだった。僕が通っていた中学校や高校も平和だったとは言え、どこの学校にもあるような軽いイジメは同じようにあった。周囲から少しでも異質な人間は、イジメの格好の的になる。僕はそんなイジメを静止するような勇気も無く、自分が次の標的にならないように、少しでも異質さを出さないように周りに同調しながら取り繕うことしかできなかった。
「お前もしかしてホモ?きっしょ!」
「違うわ、ふざけんな!」
そんなやり取りでクラスメートが盛り上がって笑っている時は、針のむしろに座らされているよう気持ちで、矛先が自分に向かないように祈りながらその話題が過ぎ去るのをじっと耐えるしかなかった。

インターネットもまだ普及していなかった時代、「この世界に自分と同じように、男を好きになる男なんているんだろうか。」という悩みに答えを出す術も無く、ただ一人悶々とするしかなかった。近所の本屋さんにゲイ雑誌(おそらく「さぶ」だったと思う)が置かれているのを見つけた時には衝撃を受けたが、誰かに見つかったらと思うと怖くて手を伸ばせなかった。
まだまだセクシャリティという概念すら浸透しておらず、同性愛者ということがバレるのは、社会的な死にも等しかった。家族と夕飯を食べている時に、テレビのお笑い番組のホモネタでゲラゲラ笑っていた母が、「お前はこんな風にならないでね。」と冗談っぽく放った一言に深く気付いたのを、今でもよく覚えている。

周りにゲイバレしないように、相変わらず好きな女の子の設定を作ったりして表向きはノンケを装い、学校生活を何とかやりすごしていた。
そんな風に思春期を過ごし高校生になった僕は、一世一代の恋に落ちる。
少し長くなりますが、これは僕の青春のすべてを捧げた初恋の話です。

高校生の頃、別の高校のKという同い年の男の子と知り合った。
最初の出会いはあまりはっきりと覚えていないけれど、僕の高校の友達の中学校の頃の同級生で、Kの家に遊びに連れて行ってもらったのが最初だったと思う。Kの家は友達のたまり場になっていて、僕もすぐに打ち解けて足繁く通うようになっていた。放課後や休み日はよくKの家に集まって、ゲームをしたり麻雀をしたり、そんな高校生活を過ごしていた。女っ気のまったくない、どこにでもあるようなクラスの地味なインドア連中の集まり。

Kはいつも真っ直ぐに目を見て話す人だった。
豪快に笑い、ちょっとがさつな所もあるけれど、太陽のようにいつも朗らかに笑っていた。自分とは真逆なその性格に、僕は少しずつ惹かれていったんだと思う。いつからか、Kのことを見ていると、胸が締めつけられるようにドキドキしてくることに気付き、「これが恋愛感情なのか」と初めて悟った。もちろん性的な対象としても見ていたけれど、単に性欲のはけ口ではなく、ただ彼を見ているだけで幸せだったり、その側でずっと笑顔を見ていたい、もっと自分だけを見てほしいと、性欲以外の欲望が湧き上がってくる。
Kが自分と違い異性愛者だということはもちろん分かっていた。よく友人たちと好きな女の子の話で盛り上がっていたし、エロ本やビデオを隠し持っていたことも知っている。「はじめての彼女ができたら何したい?」という質問に対して少し照れながらも浮ついた表情で語っているKの姿を、僕は愛しさと同時に切なさを感じながら眺めていた。男である以上、どんな女の子にも勝てないという事実に打ちひしがれながら。

ある日、いつものように友人たちと家で遊んでいる時に、「電車に乗って隣の市まで遊びに行こう」という案が出て盛り上がった。田舎の街なので、電車に乗ったこともない子供ばかりで、隣街はガラの悪い高校生も多いと噂を聞いていた。心配性な僕は、「大丈夫かな?」と不安を口に出すと、Kは「大丈夫大丈夫、俺がいつでも守ってやるから!」と大きな腕を僕の肩に回して、真っ直ぐに目を見て笑いかけてきた。
その瞬間、僕は静電気に触れた時のようにびくっと体と心臓が跳ね上がり、全身が熱を帯びていくのを感じた。
ああ、僕はこの人のことがどうしようもなく好きなんだな。
同性とか異性とかそんな理屈を通り越して、本能で好きになってしまったんだから、どうしようもない。体が、心が、この人を求めてしまっている。この人を好きになる為に生まれてきたんじゃないかと思うくらい、僕のすべてはKに支配されていた。

Kはきっと、そんな特別な感情で僕のことを見ていない。そんなことは分かっていた。仲の良い友達のうちの一人として、あくまで友達として屈託のない笑顔と友情をいつも注いでくれるKに対して、友情以上を求めてしまっている自分。その温度差に苦しみながらも、Kへの気持ちは日に日に膨らみ、抑えようが無かった。スポーツや部活動といった打ち込む物が無かった僕は、この恋に思春期のすべてのエネルギーを注いでいたのかもしれない。決して大袈裟ではなく、Kのことを考えない日は無いほど、自分の中でKへの想いは大きく膨れ上がっていた。
「高校を卒業したら、Kに告白しよう。」
友人関係がどうなってもいいように、すべてを捨てることになってもいいように、学校という閉ざされた空間から解放されてから。
「もしかしたら、気持ちを伝えることで自分の方を向いてくれるようになるかもしれない。」なんていう青く甘い期待と、「どこにもぶつけられない、ここまで大きくなってしまった想いを吐き出して、楽になりたい。」という気持ちが、そう決意させてしまったのかもしれない。

高校を卒業して進路はバラバラになっても、しばらくはKの家に集まる日々が続いた。僕は地元の大学に入り、Kは進学はせずに地元のスーパーで働き始めた。高校の頃に比べて、Kの家に足繁く通う友人も減っていき、Kと二人だけになることも増えてきた。
大学に入ってから半年ほど経ったころ、Kの家に遊びに行くと、その日も他の友達は来ておらず、家には二人きりだった。Kはいつものようにあぐらを組んでブラウン管のテレビに向かいながらゲームをしていて、僕は後ろからそれを眺めていた。
告白するなら今しかない。そう感じた。
でもどう切り出せばいいか、どう言葉にしていいか分からない。
気付けば僕は、Kの大きな背中に抱きついていた。
「ん、どうした?」
Kはこちらは振り返らずに、呑気な声をかける。
いつものじゃれ合いのような空気を、僕の一言が壊す。
「ごめん、Kのことずっと好きだった。」
「え…?」
Kが狼狽えて、すべての手を止めてこちらを向き直す。僕はKの腰に回していた手を解き、Kはあぐらをかいたまま少し後ずさって、質問を続ける。
「それって、その…本気の好き…?」
「うん…ずっと恋愛対象として見てた。」
気まずい沈黙が流れた後に、Kが口を開く。
「ごめん、俺はそんな趣味ないから…」
それは、当然想定していた答えだった。それでもその現実を突きつけられ、僕は顔を伏せたまま泣きだしてしまった。数秒あるいは数十秒、それなりに長い時間が経ったように思う。戸惑ったままどうしていいか分からないKが、困った顔で声をかける。
「俺にどうしてほしいの…?」
自分でも分からない。その質問に対して僕は、
「……抱きしめてほしい。」
と気付けば答えていた。
本当はもっと生々しい欲望もあった。キスとか、それ以上のことも。でもそんなことはとても望めなかったし、それは嘘偽りない本心だった。ずっと憧れていた、その大きな体で抱きしめてほしい。
「わかった…これで最後だからね。」
そう言ってKは改めてこちらに向き直り、ぎこちなく両手を僕の背中に回す。僕はKの腰に手を回しぎゅっと力を入れ、その体の柔らかさと温もりを噛み締めていた。抱きしめ合い顔が見えない状態で、僕はずっと泣きながら「ごめんね。気持ち悪くてごめんね。」と謝り続けた。男が男を好きになることは、やっぱり迷惑で気持ち悪いことなんだと、自分に言い聞かせるように。自分が女だったら、Kはもっと両の手に力を込めて抱きしめてくれたんだろうか。もっと違う結末になっていたんだろうか。そんなことを考えながらも、最後のハグに甘えていた。
悠久にも感じるような時間が流れた後、「もういい…?」とKは手を解いた。
その後のことはあまり覚えていないけれど、Kは気遣っていくつか言葉をかけてくれたような気がする。いつも真っ直ぐに目を見て話かけてくれていたKが、気付けば僕とは目を合わせないようになっていた。気まずさにいたたまれなくなり、僕は直ぐにKの家を後にした。

家に帰ってから、布団に顔を突っ伏して嗚咽するほど泣いた。食事も喉を通らず、ただただ放心状態で横になって、天井を眺めていたら夜になっていた。
二つ折りの携帯電話に、Kからのメールが届く。
「昼間の件だけど、やっぱり○○のこと、そういう目で見れない。どう接していいか分からないし、しばらく会わないようにしよう。」
Kなりの、気遣いのメールだったんだと思う。
「うん。そうだね。よかったらまたいつか友達に戻りたい。」と、僕は返事を返した。図々しくも、また友達に戻れるかもしれないという自分勝手な期待が残っていたんだろう。その後数分待っても、Kからメールは来ない。新着メールが無いかどうか、何度もセンターに問い合わせる。しばらく時間を置いて届いたKからの返信に、僕の甘い期待は打ち砕かれた。
「○○もいつかきっと女の子のことを好きになれると思うから、早く治るといいね。」
枯れ果てたと思っていた涙が、また溢れてきた。
違う、そうじゃない。そんなこと言わないでほしい。
病気でも何でもない、ただ一人の人間として本気で好きだったのに。
Kの真っ直ぐな瞳には、僕が正常じゃない人間として映っているらしい。
友達に戻れるかもなんて、甘い考えじゃいけなかった。自分が楽になりたいという気持ちだけで、好意を伝えられたKがどんな気持ちになるかなんて考えられていなかった。もうこれ以上、Kに余計な心配も迷惑もかける訳にはいけない。そう思って僕はKの家に通うのを止め、その後二度と会うことはなかった。

こうして僕のKへの3年間の初恋は幕を閉じた。
すべてを自分の手でぶち壊して。

「早く治るといいね。」
というKの言葉がずっと重くのしかかったまま、僕は大学生活を続けていた。

ある朝テレビをつけると、アメリカの大きなビルに飛行機が突っ込んでいた。まるで映画のような、遠い世界の出来事のような、実感の無い映像を見ながら、「大きな戦争が始まったりするんだろうか。」という漠然と不安が湧き上がり、先の見えない将来に拍車がかかるようだった。

僕はこの先、誰かと付き合ったり、幸せになることはできるんだろうか。

誰にも言えない悩みを抱え続けたまま18歳になり、時はミレニアムを迎え2000年代に突入していた。


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