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社歌と顕微鏡


こんにちは。つれづれつづり会員番号2番です。
シーズン3は仕事について。
まとまった泡銭が入ったら、真っ先に辞めたいことの一つです。年末ジャンボ買おうかな。最大でも10万円しか当たったことがありません。でも買います。

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-組織の長が黒猫を指して「あれは白猫だな」と言ったら、「はい、その通りです!」と答えて付いていくのができた部下というものだ-
俺が最も嫌う価値観の一つだ。

自分が小学5年生の頃だったろうか。強烈に記憶に残っている出来事がある。
我が家に飛び込み営業が来た。若い女性の二人組だった。いまも有名な、おつまみを扱う某メーカーからだ。母が玄関に出てから戻ってこなかったので、何が起こってるんだろうと思い、自分もちょっと顔を出してみたのだ。
ふたりは「新人研修としてこの辺りを回っている」「度胸試しに行ってこいと言われた」と話し、自社製品のセールスを始めた。チーズ鱈、たしか、1000円也。
安いものではないので、母が買えないと断ると、
「では、これから自社の歌を歌うので聴いてください!」と宣言し、社名の入った鉢巻を取り出してきゅっと絞め、何か歌い始めた。
拳を握って腕を振りながら歌っている本人たちにも、どこか不本意な想いが見え隠れしていて、聴いている方も恥ずかしくなってしまった。いまそれを言語化するなら、仕事とはいえ、小学生もいる前で、大人の自分達が、大人の都合だけでこんな辱めを受けるのはどうなのか、ということへの、共感性羞恥だったと思う。

彼女達が歌い終わった後、母が、
「こんな馬鹿馬鹿しいこと、反対する人はいなかったの?」と質問すると
「ダメだったんですぅ〜」と困った顔で答えていた。
いま思うと、反対などできる空気ではなかったのかもしれない。
これが、自分の中に「働いてお金を得るためには、馬鹿馬鹿しいこともやらねばならないのでは」疑惑を産んだ初めての出来事だった。今では疑惑どころか確信に変わっているが、小学5年生の、ちょっと早い初産。

我が家の父はコッテコテの研究職で、いわゆるサラリーマン家庭とは少し異なる雰囲気だった。そう断言できるほどの比較対象はないのだが、時々、持ち帰りの仕事のために家で顕微鏡を覗いていたものの、帰りも早く、夕食はいつも一緒。ときどき学会に行っては、現地のお土産を買ってきてくれていた。蠍の標本とか、めずらしい鉱物とか、蚊が全面にプリントされたTシャツとか。
会社のために自分を殺している印象はなく、父がやりたい研究を黙々と進めている、それが会社や、ひいては社会のためにもなる、そんな感じだった。友達から聞いていた働くお父さん像とは、ちょっと違う感じ。
そのためか、仕事は自分自身のためにするもの、自分自身の興味に基づいて選ばれるもの、という、日本の社会風土から逸脱した価値観がしっかりと育った。
父のお土産のセンスからも、我が家のそのほかの価値観の逸脱も大きかったことがうかがえる。いや、確かに、いま色々思い出してみると、だいぶ変だ。

この先の人生で、自分の逸脱っぷりを目の当たりにする機会は山ほど訪れたが、その度に逸脱がむしろ強化されたように思う。セクシャリティでも世間様から逸脱していることもあり、数々の逸脱の合わせ技により、どの職場でも独自路線を展開していくことになった。それなのに、嫌われることはあまりなく、むしろ、慕われていたようだった。ニンゲンノココロ、ヨクワカラナイヨ。

次回は、様々な逸脱、特にセクシャリティによる逸脱が仕事にどんな影響を及ぼしていたのか、どんなことを考えながら働いてきたのかについて触れてみたいと思います。また脱線したりしないといいのですが。

今年もあと1ヶ月とちょっとなんですね。早すぎますね。
気忙しくなりますが、慌てず素早く美しゅう。藤商店のからし酢味噌。菅井きん。
それでは、また。

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