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フレンド通信 6.12(日)

昨日は,相馬市まで運転してきた。
目的は,何処にも行かないで
1日を終えてしまうことへの勿体無さと。

土曜日ながらにして
月曜日からの仕事の事を家にいると
悶々と考えてしまいそうだったので…。

最近は,ドライブする時は
車の中で小説を
オーディオブックで聴いている。

大体4時間ちょっと聴く事になるのだが,
それを1.5倍速で聴いていても
十分にその臨場感は伝わってくる。

✱✱

聞き放題プランに入っている
『ハッピーバースディ』を前回,
今回は『さよなら田中さん』という話を聴いていた。

さよなら田中さんに関しては
毒親に関してのテーマと
予め知っていたのもあって
アダルトチルドレン(以下AC)を
自認している私への
何かのヒントにでもなれればという
勉強の目的でもあった。

ハッピーバースディは
自身の43歳の誕生日という節目だったのもあり
そして,タイトルに勝手に感動のテーマを
連想してしまっての選択だった。

✱✱

偶然にも両方のストーリーに
毒母が登場することになる。
「言うことを聞く子=良い子」
「出来ない子=いらない子」
そんなレッテルを貼られ,

この2つの話両方ともに,
上の出来るお兄ちゃんと
出来ない弟(妹)との話であった。

私はもしかしたら
HSPの中でも
特に聴覚刺激による
情報に過敏なタイプなのかも知れない。

目で読書をしていても
たまにスッカリ眠くなってしまう
集中力が続かないと思う
そんなことがあるのだが,

こと耳から入ってくる情報は
深く聞き取ってしまうようだ。

ここの話に出てくる
母親からの罵声。
このシーンでは
聴いているだけの私でも
心に突き刺さる。そんな気がした。

✱✱

ただ,両方の話でのキーワードが
1,母親から離れる生活
2,自然のある田舎

ハッピーバースディでは
横浜の自宅から離れ
栃木の祖父の家で
心を回復させることになった。

そして,さよなら田中さんでは
東京の自宅から
山梨にある寮で生活し
中学校に入る決断をする。
母親の為に自らが選択することになる。

✱✱

率直な感想として
私自身と照らし合わせると
母親を心理的に捨てるということを
今でも出来ているのだろうかと
考えさせられた。

「何かを得るためには
何かを捨てなければならない」
そんな言葉を
石井裕之先生の音声教材の
ダイナマイトモチベーションで
耳にしたことがある。

「何かを捨てる」ということが
成長なのかもしれないし,
C.G.ユングの言う『死と再生』の
通過儀礼なんだろうと思う。
分かってはいるんだけど…。

私自身に関してだと,
もう7年ぐらい前になるのかな。
30数年間続けられた
叔父叔母からの言葉の暴力から
逃げることが出来た。
勿論,佐々木先生(カウンセラー)に
いつでも相談できるという
心のバックボーンが出来ていたので
勇気を出すことが出来た。

それでも,毎回美化されてしまって
そろそろ顔を出しにいっても良いのでは。
叔父叔母とは切れても
いとこ関係まで壊している必要も無いのでは?

そんなことまで頭をよぎることがある。
そう。まるで禁煙を宣言してから
「1本ぐらい吸ってみようかな」と
思ってしまう心理も
このようなものから来ているのだろうか…。

✱✱

ただ今は改めて
自我強度というバリアが弱い
ACという私を認識して
その部分を自分のペースで
より強くしようと思っている。
きっとHSPに関しても
同様なんだと思う。

HSP交流会の回数を重ねていく中で
多くの仲間と出会うことが出来,
共通の悩みを通じて
色々と私は強くなっているのかなと
そんな事を感じている。

そう。私の場合は叔父叔母を捨てた。
無理をしてまで気を遣って関係を続けてきた
友人関係も今では大分捨てることが出来た。

そしてら,HSP交流会という
コミュニティを立ち上げることが出来たり,
その場で多くの仲間と
色々と話を聴かせて貰ったり
話を聴いて貰ったり
今までの日常に無かった
深い時間というのを
みつけることが出来たように思う。

✱✱

さて,来週の日曜は
HSP交流会を開催予定。
その時その時の会の
意味合いを感じながら
素晴らしい会になれれば幸いである。(現在募集中)

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