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父親の死から1年 そして自己成長へ向けて

3月31日

明日から新年度になりますね。facebookアカウントを持って10年目になるんですが,facebook機能で過去3月31日の投稿が見れるようになっているんですね。忘れてしまっている訳では無いんですが,改めて昨年の今日に父親の死を知らされた日でした。


やはり今思っても「親父がしっかりしていたら…」などと自分の人生を責任転嫁したくなる自分もたまに顔を出すんですが,そんなことを思っているうちは自分の精神レベルも向上していかないと思っているので,ここはどう意味を解釈していけば良いのかを考えていく必要があるような気がしました。


まずは,昨年のfacebookに掲載したことをそのまま掲載します。


✱✱(facebookページより)


【まさかの出来事】3.31

昨日フェイスブックに書こうと思っていたのだが,あえて書き続けるのを止めていたのだが,私に大変影響力のあった,3人が私の前から消える(象徴的な死)こととなった。

・12月…小学からお世話になってきたスポーツ店の閉店
・2月…中学から真剣にリスペクトしてきた野村克也さんの死
・3月…物心ついた時からずっとリスペクトしてきた志村けんさんの死

これらは,私にとって何を意味しようとしているのだろう。そんな事を昨日は考えていた。しかし,答えは見つからない。ただ,「心の中ではしっかり生き続ける」ということで,自分の中で納得させている部分もあった。ただ,ノムさんの死より,志村けんさんの死より,大き過ぎた,脳裏を過ぎれないまさかの死が待ち構えていた。

今日3月31日は,6年間居た部署の最終日。昨日も書いたが,しっかり御礼と感謝の気持ちを込めて,「持ち物の整理」「掃除」「引継ぎ」「挨拶」をしようと自分にテーマを課していた。しかし,仕事を始めると,まさかの一報が姉から入った。


姉:「お父さん死んだって連絡入ったんだけどどうする?」
私:「ちょっと待って。後で連絡する…。」

正直,どうしたら良いのかが整理全くつかない状態だった。軽いパニックだったのかも知れない。仕事の忙しい時期というのもあったし,ましてや,今日は今の部署の最終日。

実は,即答出来ないのには理由がある。両親は20年前に離婚しているし,このページではあえて書かない(すみません)が,書かないなりの難しい事情もあった。ただ,そんな訳あり父親だけど,火葬してしまったらもう姿を見ることが出来ない。そんな思いで,上司に相談して,早退という形を急遽取らせて貰って,姉の車に乗せられる形で,母親と兄弟で,高速道路を使って,父親の元へ向かった。


実際にあってみると,やはり美化された思い出が走馬灯のように流れてきて,どこか罪悪感のような涙が流れそうになった。しかし,どうしても訳ありの部分もあって…。(すみません。これ以上は父親の名誉もあるので…。)ただ,1つ言えたのは,ずっと影響力のあった人の死(象徴的なものも含めて)が続いてきたので,ユング心理学的に,もしかすると,私の母親か,兄弟あたりが…,みたいな心配を昨日はしていた。そこを父親が身代わりになってくれたのかなと解釈したくなってしまうのだ。父親には申し訳ないが,そんな事を考えてしまったのだ。


父親とは今日でお別れ,そして,今の部署とも今日でお別れ。最後はまた部署に戻って,顔を出させて貰って,引継ぎの残りをしっかりさせて貰った。最後に係長に挨拶の時間を作って頂き,しっかり御礼と感謝の思いも伝えてくることが出来た。

正直,まだまだ父親の死に対しての,心の動揺でゴチャゴチャになっているが,明日からは新年度。そして,明日からは新部署。父親の死も,それだけ,自分自身が年齢を重ねてきたということ。もう40歳だから…。私も含めて,もう自分も周囲もそういったこと(死)が起きてもおかしくない時期なんだということ。そんな現実をしっかり受け入れ,これから先のキャリアデザインをしっかりしていこうと思わされた。


そして,もし父親に一言言えるとしたら,あえて父親だから言えることとして「空からウチラにしっかり恩返ししろよぉ」と言ってやりたい(苦笑)。ただ,父親は人柄だけは良かった。あんなにチャランポランな生き方をしているのに,なんだかんだで今まで上手に生きてきたのか不思議に思う。そこは自分には全く無い性格。ただ,息子だからその可能性がこれからも残されていると思って,適当にノビノビ生きる勇気も欲しい…(笑)。ただ,自分には合わないや(笑)。

ただ,たった一人の父親に「ありがとうと伝えたいです(涙)」


✱✱


今一年経って思うこと

先日も父親に対しては書き出してみましたが,私にとっては反面教師だったような気もしますが,親戚の叔父叔母の存在がまさに父親の真反対だったので,広い意味で勉強になっていると思います。


そう思えるようになるまでは,かなり遠回りしましたし,年齢もかなり増えてしまいました(苦笑)でも,何度も書いていますが,私にとっては佐々木修先生にカウンセリングして貰っていなかったら間違いなく今の自分はありません。


私は引きこもりをする自信も無いし,誰も知らない土地を求めて逃げながら生きていくか,何らかの方法で自死を選択していたんだろうと思っています。とてもじゃないけど,父親に対して「ありがとう」なんて書く余裕も無かったし,叔父叔母との絶縁を選択する強さも無かったと思います。


本当に生き方を知らないで苦しんできて,まだまだ壁にぶつかる時も多いのですが,その都度相談出来る先生がいるのは,私にとってのバックボーンになっているんですね。


私は来月で42歳になります。繊細に生きてきた40年間。そしてHSP交流会で仲間とHSPを理解しながら生きれるようになった1年間。今は不安以上の希望の方が多いような気がしていますね。だから父親にも「ありがとう」が言えるんです。

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