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フレンド通信 6.11(土)

①欠点を直させるコーチ
②長所に気づかせるコーチ

どっちが良いのだろう…。

これは,『One World(喜多川泰著)』
の最初のテーマ『少年野球』の章に書かれているテーマ。

私は,HSP気質も影響しているのかな,
間違いなく②のコーチの元で
野球をしたいと思う。

だから,私が指導する際も
②を大事にしたい,
そんな事を感じていました。

✱✱

今から,25~28年前。
私が高校生だった頃,
この2人の監督の元で
指導を受けた。

今では,絶対的S高校が
甲子園常連校になっているのだが,

当時は,常連と言われている高校は
福島県には無く,
私が所属していたF高校にも
甲子園のチャンスがあった。

春の県大会で優勝しているので,
戦っている選手自身も
夏の大会の優勝は描けていた。

ただ,そう思っていたのは
私ぐらいだったと知る事になるのは
後のことであった。

✱✱

高校2年の秋に
上位予想されていながら
予選で早々と姿を消した我がチーム。

その後の茨城遠征の時に
現監督の転任を知らされる事になる。

私にとっては,不謹慎ながら
チャンスに思っていた。
ずっと私の名前を間違えて読んでいた監督だったので,
きっと私の事は眼中に無かったのだろう…。
最後まで試合に出される事も無かった。

✱✱

高校3年のはじめ,
I監督が我がチームの監督になった。
パッと観た印象で
怖そうな監督さんだったので,
私としては3年間野球部を辞めなかった事を
自信として生きていこうなどと
考えていた時期でもあった。

しかし,思っていた事は一変された。
監督は部員みんなを集めて,
「俺は,このF高校の監督になれて幸せだ。
このチームの監督をしているうちに
一度は甲子園に行けるチームに来た。
ただ,今年のチームは前任のチームだから
俺のチームは来年からだと思っている」

そんな不思議な事を話していた。
誤解を招きやすい監督ではあったが,
前監督との違いは,
私の名前を覚えてくれた。

私の事を監督独自のあだ名で読んでくれて,
私はとても嬉しかった。
「俺はお前のガッツが大好きだ。」
そんな事を直接言ってくれていたし,

間接的に,同期の仲間に,
「あいつは何ていうんだ?」
と,名前を聞かれたぞ。
と,そんな話まで聞かされた。

それは私も,凄くやる気になる。
I監督が大好きなのは機動力野球。
それを知っていたので,
夜中の23時近くまでつきあって貰って,
バントだけの練習をずっとしていた。

なので,43歳になった今でも
バントには自信を持っている(笑)
人に教える自信も持っている(笑)

✱✱

3年生の春の大会(のちに優勝するのだが)に
初めて背番号15を貰うことになった。

私は,人に負けない《声》と《バント》
これだけで背番号を貰ったと思っていた。

そして,今や甲子園常連校になっている
S高校戦で,スタメン6番で起用されることになる。

緊張でガチガチで,試合には全く楽しめていない。
自分の所に打球が来るのを凄く怖がっている自分がいた。

そんな所自分の所に打球が飛んできた。
心臓はバクバク凄く,
身体が全く言うことを聞いてくれない
そんな状況で,何とか打球を処理した。

それから,私の打席はチャンスでやってきた。
相手投手は,S高校エースで,
私の中学の同級生のK。

ただ,私はKと戦っているというよりは,
自分と戦っているような気がした。
結局,私の打席は,
グリップエンドに当たってのファーストゴロ。

私は,既にアウトになっているのに
1塁までは全速力で走った。

次の打席ではチャンスで
代打を告げられることで
ベンチに下がることになった。

試合には,我がチームが1点差で勝ち
後に県大会優勝することになる。

✱✱

その時に,I監督から個人的に
呼び出された。

「○○っち(私の愛称),
試合に使いたいと思ったけど
俺の目が曇ってた。
この先,プロ野球に行く人間は
この学校にも居ないし,
福島県にも1人いるかいないか分からない。
これが現実だ。」

「お前の良いところがある。
後輩の面倒を誰より見てやれるっていうことだ。
明日からは,2軍キャプテンとして
2年生を指導して貰えないか」

そんな事をお願いされた。
私は,野球選手としての人生に
終わりを告げようと当時思った。
大好きなI監督に言われたのが
嬉しかったんだと思う。

✱✱

ホント不思議なもので,
I監督の言葉に関しては
あれから25年が経っているのだが

全く忘れることもなく,
それでいて,
私をその後迷わせることにもなるのだが…(笑)

ただ,今でも
I監督のフレーズは印象に残っていて,
そこがベースに生きている部分が多いと思う。

バントに対しての楽しさも教えて貰ったし…(笑)
今,思えば,
バント(犠牲バント)は,
最後の夏までに経験させて貰うことが出来たのは,

私の中での野球観,
いやっ,人生観
そのものに影響を残してくれたような出来事だった。

ありがとうございますI監督。
この時の経験が今の自分を作ってくれています(^o^)

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