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くも猫 ふわふわ日記 大作山の棚田に行く

八代市日光の棚田の次に、僕が向かったのが上天草市の「大作山の棚田」。この棚田も、日本の棚田100選の時代に選ばれた棚田だった。天草の東海岸の稜線にそびえたつ龍ヶ岳(標高469m)の山頂から少し降りた谷間の地形に大作山の棚田の景色は広がる。この地区の歴史は深いのだろう。こんな標高の高い地に棚田をわざわざ開墾したには何か理由があるに違いない。エリアの真ん中に山から注ぐ川もあり田んぼを作るのに都合が良かったのだ。山の中腹に数戸の農家があり、桃源郷と言うまではいかないにしても他の地域から干渉されずにのんびり暮らすには最適の場所なのだろう。平成になりタイミングよく龍ヶ岳の山頂には地域お越しとやらで、町は莫大な予算をかけ天文台やキャンプ場を整備した。当時、天文台は、澄んだ空気の中で日本一、きれいな星を見る事が出来ると有名になった。大作山の棚田への道も整備された。訪れた時は棚田の田植えは終わり、棚田には水が湛えられていた。ちょうど真ん中に小道があり、カメラ片手に棚田を歩く時は、のんびり楽しいものだった。夜は蛍も飛び交ったのだろう。

前回、八代市の日光の棚田では後継者が不在で、田んぼは消滅し、棚田の石垣が支えるのは畑の作物になった。日光は「棚田遺産」にも指定されなかったのだ。心配なのは大作山の棚田だっが、パソコンで調べるに大作山の棚田は棚田遺産に選定されていた。

さて実際はどうなのか。僕の心配は的中、大作山の棚田はほとんど消えかけていた。すでに棚田遺産とは呼べない景色だった。真ん中の小道は軽トラが通行できるように舗装されていたが、当たりは草ぼうぼうの荒地だった。数年前の大雨の被害もあったのだろう。それでも数件の農家は頑張って農作を続けておられ、農機具をしまう納屋には小さなこいのぼりが飾ってあった。

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写真を撮るには当然、絵にかいたような景色を期待するが、そうでなければ、がっくりくる。が、それは棚田を守る農家のせいではない。都合のいい時だけ来て、写真を撮り帰るだけの僕には何も言う権利はない。


時代は反転するのか。山頂の天文台はすでに閉鎖され、すすけたコンクリートの建物はもうすぐ廃墟になる。キャンプ場は管理されているが、周辺の施設は枯れた草に埋もれ荒地と化している。

10年ぶりに里帰りした若者が当時を懐かしみ、天文台に忍び込み、大きな望遠鏡で夜空を見上げるという、チープな思い出譚はどうだろう。光の筋が夜空に突き刺さる景色を眺め続ける自分の姿も、湧き上がる雲に包まれ、半分消えかかる幻想。雨漏りしたプラネタリウムはどんな景色が映るのか。スクリーンには鱗粉をまき散らす蛾の大群が飛び交う。

天草の本当の魅力は開発された、客に媚びた安っぽい西海岸ではない。昔から漁港の景色が残る東海岸が昔ながらの天草なのだと信じたい。そうは思っていても、棚田と同じ、東海岸の道も広い道とトンネルが開通し漁港の香りがしなくなった。

時間が余り、帰りに竜ヶ岳の樋島に渡った。途中看板があり、その島の裏手の外平海岸に行った。遠浅の白い砂が弓なりになった海岸の景色が美しいと有名らしい。背丈まで伸びた萱の道の中に海へと辿る小さな道がある。白浜の海岸に着き、カメラを構える。確かに美しい景色だ。沖の水平線に小船が停泊して釣りをしている。カメラのファインダーをのぞくに、出来るだけ美しい景色だけ選んでシャッタ―を切るのだけど、その有名な美しい自然の浜も足元にはペットボトルやらなにやら、ごみだらけだったのだ。残念ながら。

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悲しいかな、何かを作れば作るほど、何かが壊れて行く。

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