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島原の原城に行った。

この前の日曜、フェリーに乗って長崎南島原の原城に行った。原城は世界文化遺産(潜伏キリシタン関連遺跡)に選定された史跡の一つで、江戸時代の天草島原の乱 (1637年…今から約380年前) の主戦場だった。幕府の悪政にたまりかねた農民(老若男女約3万7千)、原城に立てこもり、玉砕した魂の眠る場所だったのだ。本当におくればせながら史跡をたどると、そこには、今、何もなかった。過去は多くの血と涙が流され、叫び声が響いた場所だったのだろうけど、今は雑草が茂り夏の風に揺らされている。乾いた土埃のする平な史跡の後なのだ。別の場所に資料館は出来ていたが。

現地にもう少し何かあればと期待したのだが、そもそも、キリシタンの農民全部、虐殺した後は、もう同じことが起こらないように幕府は城を徹底的に破壊し、農民らの屍の首を切り落とし、穴に全部埋めたり、海に放棄した。だから400年近く経った今では何もない、こんもりとした丘の下に一部掘り起こされた石垣が見えるだけなのだ。

戦後、盛られた土を掘り返し、田畑を作る段になって地中からキリシタンの遺骨が山のように出てきたそうだ。同じ例えで言えば沖縄も同じ、他国で言えば中国の文化大革命、天安門も同じ、香港もビルマも同じというわけで、みんな支配者は都合が悪ければ土に埋めてしまうわけだ。犬が骨を隠すように。何万人死んでもそれでなかった事に。

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観光ガイドのおじさんは、以前は地方に住むコンプレックスがあったそうだけど、作家の遠藤周作氏の講演を聞き、自分の故郷に誇りを持てたと語っていた。遠藤氏曰く、「江戸でちょんまげ結ってごたごたしている同じ時に島原天草ではオルガンの音が響き、活版印刷機で聖書や書物が印刷されるという高度に文化が発達していた地が、観光ガイドのおじさんの故郷なんだからもっと誇誇りをもっていいと」…おじさんは遠藤氏に励まされたと語った。そんな高度な文明、理想に対抗するに、お殿様どもには野蛮、暴力しかない。問答無用、叩き壊すしかない。もともと知力では勝てないから彼らは愚行を繰り返す。悲しいかな何百年経っても、独裁者のいる国はそうだ。何も大げさに考えているわけではない。当時の地球で3万7千人規模のとんでもない規模の虐殺事件が世界中でどれほど起こったのだろうか。そう思うと、この僕の辿った、足元が世界遺産に選ばれたのは相当重い事件なのだ。

昔、遠藤氏の小説「沈黙」「侍」「白い人、黄色い人」を読んだ。あと熊本の郷土史家の故・北野典夫氏の「天草キリシタン史」について、その他もろもろ。

乱の後、僕の住む熊本も島原も、一部の隠れキリシタンの人々を除き、荒れ地化した。幕府は人影のなくなった場所に全国から貧しい農民を移民、ばらまいたわけで「天草の血」はよそ者の血にごっそり入れ替えられたのだ。

当然、今の島原天草のほとんどの住人はキリスト教には無関心。せいぜい天草四郎を観光に利用しているだけの、何の愛情も知識も感情も感じられない「雰囲気キリシタン」の輩ばかり。

特に天草地域のありさまは恥ずかしいくらい。日本一の天草四郎像(手前に竹輪のオブジェあり)、四郎の想像画 (創造性のかけらもない商業デザイナーの美人画)…そんなに観光、美化したら、本当の天草四郎の姿が思い浮かばないではないか。みんな勘違いしてしまう。歴史を作り変える愚行とはこういう事か。

天草四郎はもっと土着の田舎の敬虔な信者のはずなのに。世界遺産を利用した地域おこしは見えない遺産の破壊を続けている。

遠藤氏の苦悩もすざましい。そもそも日本人と宗教の関係が怪しい。戦時下、国内の宗教団体はキリスト教も仏教も、戦争反対どころか、戦争協力していたのだ。遠藤氏の苦悩の系譜を、今の作家で継承している人は誰がいるのか僕には分からない。遠藤氏が「沈黙」を発行したときに、日本中のキリスト協会のお偉いさん、信者さんから踏み絵を踏み、転向する主人公の「沈黙」が禁書あつかいされたとの話も、あきれるばかり。突き詰めれば「神は死んだ」のに「まだ、死んでいないと」思い込む、その「愚考」に尽きる。

それでも遠藤氏は神を信じていたのか、いたいのだろうか。

天草四郎の乱のこぼれ話で、当時、肥後の細川藩に用心棒として迎らえた天下の「宮本武蔵」も異教徒征伐に原城に向かったそうだが、お城の石垣を登る時に、立てこもる農民の落とす岩に足を痛めてほうほうの体で、逃げ帰ったという記録がある。そもそも「宮本武蔵」という爺さんも戦後の吉川英治の小説で脚色されたお話として作り上げられた共同幻想の一つ。(佐々木小次郎との対決の真相は「沼田家記」を読めばわかる) 体制側から見た偉人の武勇伝は日本人好みなわけだし、支配者にも好都合だし。

梅雨の中の暑い一日だった。歩いても歩いてもアスファルトは熱く、叢は茂りに茂り、僕の歩く叢の小道の下にも、誰か眠っているのだな。すいません、少しお邪魔しました。何もできない、でくのぼうが足跡つけに来ました。するとどこからか、蝶々が一羽、僕の足元に飛んできた。

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帰宅後、夜に目が覚め、またぼんやりと目をつぶる、改めて天草四郎の顔を思い浮かべる。なんだか柔らかい闇が迫ってくる。みんな柔らかい土の中に眠っているのだろうな。


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