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50の手習い…改め、何回でも手習い

50歳になった時、何かきた~!って感じて本当にいろんなことをやってみたけど
継続は力なりって言うように続かなかったら、手習いじゃないということにも気がついた。
(それをただの無駄遣いとも言う)

だけど、一つだけまだ続いている。
続かなかったものは無駄遣いとなったけど、とりあえず体験して経験はちょっとだけ深まった。

それも私だよね~とこころは広く受け止めることにしておこう
(結構この感覚大切だったりする)

最近、読んだ本のなかに「こころは一つではない」という言葉がやたらめったら響いている。

多分、スキゾ(両極)に生きるということが人の苦しみの一つでもあると感じていたから、2つも3つも…なんなら10も20も…いろいろな想いや考えがあって当たり前なんだと受け取った感じだった

精神的に双極とか多重人格とか、あって当たり前だと思えてきた。

だって、私だって自分の中にいろんなシステムに合わせて、いろんな顔をして毎日生きているんだもの

私だけじゃないと思うのだけど…
そう思っていいと言われたようで気持ちが救われたようだった

そう思うと、手習いは50と言わず20でも手習いであって、そのことに興味関心を示し、あなたを知ろうとした瞬間から手習いになっていくんだろうなぁ

合気道や武道なんて縁もないと思ったけど、孫ほどの子供に指導受けるなんて、思ってもみないでしょ?

いいものですよ、エネルギーに溢れている言葉は、無敵です



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