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思わぬGrace

今日は
NPO法人 ハートフルコミュニケーションの
『子供の声を聴く』にzoom参加しました。

子供たちの自由な遊び場を作ることを
世田谷区と気仙沼でされている
菅林「かんぺいさん」がスピーカーです

きみには不思議な気品があるって
しってた?


今年、さりげなく「しろさん」は苦戦していた。
美術館のスクールガイドで、なんだか上手く
「しろさん」になりきれないのだ。
子供たちをキュッと引きつけておはなしができない。
(子供たちに助けられいることがたくさん。
 それはよいことなんだけどね)
なんだか、ちょっと浮ついているというか
「しろさん」の着ぐるみが着崩れているのだ。
そこはかとなく自信が足りないのだ。

『子供の声を聴く』友達に誘われる前に申し込んでいました。

柔らかく淡いね

最初、すてきな遊び場をみせていただいて
(都会ってちゃんとしっかり公園があるの
  意外とこの辺りは中途半端感)

小さい頃にどんな遊びをしていたか
トークルームに分かれて話しました

しっかりぬっていますよ


下校の時、わざわざ田んぼやあぜ道を歩いて、草の実だらけになったこと
れんげのはなかんむり
秘密基地
(都会でも地方でも秘密基地は作れるのだね)
白線の上を歩く
塀の上を歩く

などなど

なんだかきゅんとするのは
おもいでフィルターの
いろみたいきがして


グループの方の話から
たくさん思い出していきます

次は

「子供たちの遊びを食べ物に例えると?」

むむむ…

きみのうごきは
柔らかくてうつくしい



わたしは
ソーダ!スカッと、スッキリ、発散した感じ

…おてんばぶりが表れています

いろんないろんな食べ物が上げられました!

ご飯と味噌汁
すっぱいみかん
からあげ
アメ
ラムネ
ミックスジュース
お菓子

毛蟹
(没頭感!!)


遊びは様々であること
バラバラであること
それがよいこと
前提がみんな違っていいこと

自由ということ

あまりにもまばゆかったよ
残像はあざやかに


今は、子供が少ないから
大人の目が多すぎて
無意識にプレッシャーになっていると

むかしは、いろいろ
自由もきいていた
見守り方もナチュラルだった

例えば立ち入り禁止の場所にも
「気をつけてね」と

その雰囲気
かたちにはならないなにか


そして
震災後の気仙沼での活動が

カメラマンの渡部陽一さんが現地に

子供たちと打ち解けていくと
ハッとする言葉が
時折、刺さってくるかのように
聴こえてきます。

全くそのとおりよ


遊んでいる中で
ふとした会話

「今、何があったらいい」
「家、住んでいた家」

「友達」(帰ってこない)

信頼があるからこそ
漏れてくる

言葉にならない気持ちを「あそび」がだしてくれる

あたたかい
ほんのりと


一見なんでもないように見える子供が

ある日突然、自ら命を絶つ


そういう現場なのです(世田谷も同じ)


そんな中
子供たちの作ったうたの
眩しさと切なさと強さ
(あれ?小室哲哉だわ)


ある中学生は
「震災があってよかった」

「学校に行かなくて済んだ」
どれだけのことが
この言葉になったのか

そこを丁寧にすくい上げていく

遊び場にくるように声をかけて
役割をふったり

悪態をつきながら
小さい子の面倒を見る彼の笑顔は
何よりまぶしくひかっていた


これは、わたしだ

雨の日の優しさがある
夜の優しさがある
暗闇の優しさがある


「コロナになってよかった」
「気兼ねなく堂々と家に引きこもれた」

わたしはこれに救われました

大人も同じなんだよ

自由に遊べる居場所がたいせつ

晴れ間の
Grace


終了後のアンケートを記入して
送信して


泣きました
思い切り泣けました

小さいわたしが泣きました
やっと泣けました

怖かった
寂しかった
嫌だった

今のわたしも
一緒に泣いたかもしれない

しろさんの
おきにいり

小さいわたしが成仏したかも知れないよ…


ああ

全てわたしのGrace
全てあなたのGrace


突然現れる
それは祝福
それは救済


NPO代表の菅原さんが
「遊びたいなと思いました。
大人ももっと遊ぼうと」


そうだよ

〜あそびせんとや 生まれけむ〜


「自由」の大切さ

自分で選んで
試行錯誤して
たくさん失敗して
やっと成功したり


やっとわかってきました

わたしは
子供の味方に
なにがなんでもなりたくて
スクールガイドになったんだよ

『にじいろBOX』再会前に

とても大切なことを思い出しました

がんばれそうです


Graceな場をつくっていくんだよ


☆12/9のEテレ『バリバラ』で
かんぺいさんの活動が放送されます
チェケラッ!

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