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【無料記事】 TV Bros.総集編特大号 「ブロスは何を取り上げてきたのか?」 元編集長・平松恵一郎セレクト

※この記事は現在発売中の『TV Bros.6月号 総集編特大号』で掲載している記事を転載したものです。


TV Bros.元編集長
平松恵一郎 セレクト

‘88年より編集部配属。川勝正幸、高城剛、堀井憲一郎、小田嶋隆、いであつしほか各氏の連載担当を経て、’93年春から’94年秋まで編集長。


SEEING DOUBLE

(1989年1月28日号)

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 完全に3つに絞るのは難しいので、「3ジャンル」でセレクトしようと思います。
 ブロスって、新人の編集部員はピピピクラブを担当する伝統があったんですよ。そのピピピクラブを担当しているときに「誰と誰が似てる」という投稿がたくさんあったので、似てる人を並べる「SEEING DOUBLE」というコーナーを作ったんですね。当時の編集長が持っていた外国の雑誌にそういう企画があったことにも影響されて。それで特集枠で「SEEING DOUBLE」をやったら反響が大きかった。投稿の数もそこから増えていって、これが現在も続く人気コーナー「似て蝶」のルーツになりました。
 もう1つ、これもピピピクラブで「たのきんトリオのヨッちゃん(野村義男)を最近テレビで見かけなくなりましたが、どうしているのでしょうか?」という投稿があったんですけど、それをきっかけに「がんばれヨッちゃん」というコーナーを作りました。しばらく続けていたら、なんとヨッちゃん本人からFAXが届いて。それで「ある日、突然ヨッちゃん」という特集を組んで、「俺は生きてるぞ!」みたいなノリでご本人にインタビューをしました。
 創刊当時のコンセプトに「上から与えられるテレビ情報ではなく、読者が共感できるような企画を」というものがあったのですが、編集部員や連載陣だけでなく、読者投稿からも名物企画や特集が生まれていったというのは、まさにそのコンセプトを体現しているように思いますね。



嗚呼アイドルは何処へゆく

(1990年7月7日号)

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 ブロスのことを「テレビを斜めの視点から見る雑誌」というイメージで捉えている人もいるでしょうけど、真正面からテレビ文化を取り上げた特集もやっていました。僕は創刊当初、一番若くてミーハーだったから、そういう特集をよく担当してましたね。
 たとえばジャニーズタレントの歴史を取り上げた「ジャニーズをあなたに」という特集。当時は光GENJIが爆発的に売れていた時期だったんですけど、ちゃんとジャニーズ、フォーリーブスから始まるジャニーズの歴史を特集しました。森高千里にスポットを当てた「森高にはフタをするな!!」という特集もやりました。当時の森高千里の立ち位置が、ブロスと近いものがあったんでしょうね。
 創刊3周年のときには、「嗚呼アイドルは何処へゆく」という特集をセンター16Pで大々的にやりました。アイドルの歴史を最初期の頃から振り返りつつ、解散したおニャン子クラブについての考察も掲載して。泉麻人さんの監修で、かなり真面目に取り組んだ特集だったんですけど、これは非常に好評で、読者から手紙をもらったりした記憶があります。当時、ブロスの特集ページ数はそう多くなかったんですけど、周年記念号など節目の号では、かなりページ数を使ってテレビの特集を組んでいました。
 5周年号のセンター企画では、また16Pで「史上最強のテレビ讀本」という、真面目にテレビのことを考察する特集をやりました。いとうせいこうさん、泉麻人さんに加え、堀井憲一郎さん、小田嶋隆さん、石丸元章さん、ピエール瀧さんなどバラエティに富んだ顔ぶれで。ペリー荻野さんはこの特集がデビューだと思います。
 振り返ってみると、当時の特集は聞き書き原稿よりも、書き原稿が中心でした。きっと「テレビを分析する」という視点で作っていた部分が大きかったからなんだろうと思いますね。


ドリトル堀井のドラマ博物学

(1989年7月1日号)

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 連載から派生した特集も、ブロスの特色でした。僕は堀井憲一郎さんの連載担当だったんですけど、その連載のスペシャル版「かぞえりゃほこりのでるTVスペシャル」や「ドリトル堀井のドラマ博物学」という特集を一緒に作っていました。
 ミーハーコラムニストのいであつしさんは、「場違い記者が行く」という、ドラマの記者会見の現場に行く企画をやっていました。当時、ドラマの記者会見ってホテルなんかで大々的にやってたんですよ。おみやげもあったりして。それを調べにいこうという企画です。彼と一緒にやったのが、バルセロナオリンピック増刊号での「日本の中のスペインに行こう」という特集。セントラルスペインアメリカ銀行の東京支店、スペイン政府観光局、イベリア・スペイン航空の日本支社なんかをぐるぐる回って取材しました。
 高城剛さんは’90年からの連載陣ですが、彼が監督を務めた『バナナチップス・ラヴ』という深夜ドラマがフジテレビで放送されたんですね。他のテレビ誌はほとんど取り上げなかったんだけど、うちは4Pで特集しました。当時はフジテレビの深夜で「カルトQ」「カノッサの屈辱」のような個性の強いバラエティをやっていて、そういう深夜番組文化と相性が良かったところはあったと思います。
 当時はとにかく「他でやってないもの」「他でやってない切り口」をずっと考えていた記憶があります。それでかなりマイナーな方向に走ったときもあったと思いますが、「他と同じじゃつまらない」と常に思っているのがブロスの編集部員でしたね。(談)

(了)


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