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【無料記事】 TV Bros.総集編特大号 「ブロスは何を取り上げてきたのか?」 編集長・編集部員がセレクトする 『特集の特集』

連載、投稿と並ぶブロスの大きな柱が、特集記事。独自色の強い数々の特集は、いかにして生み出されてきたのか? 

歴代編集長と現役の編集部員たちに、それぞれ記憶に残る特集をセレクトしてもらい、その思いや裏話をつづってもらいました。

編集・構成/前田隆弘

※この記事は現在発売中の『TV Bros.6月号 総集編特大号』で掲載している記事を転載したものです。


「ブロスらしさ」とは何か?

文/前田隆弘

 この特集の編集担当として、「なぜブロスは<ブロスらしい>特集をやれたのか?」というテーマをずっと考えていた。ひとくちに<ブロスらしさ>といっても、「時代によって」「編集長によって」「編集部員によって」特集のテイストはさまざまに変わっていく。そのバラバラな中に共通する<核>は本当にあるのか?

 1つ気付いたことがある。「テレビブロス」というフレーズを聞いて、たいていの人がイメージするのは「’90年代のブロス」だったりするのだが、しかしその’90年代においても、毎号毎号すごい特集を連発していたわけではない(と思う)。しかしいまだに強烈に記憶に残るような特集はたしかにあった。

 そこで重要な役割を果たしていたのが、「安さ」というファクターだった。とにかく安い。180円で番組表が付いているだけでも元を取ったようなものなのに、さらにバラエティに富んだコラム連載が掲載されている。すでにこの時点で「元を取った+α」、得をしていると言ってもいいくらいだ。そこが盤石であるからこそ、自由に特集ができる。その自由なフィールドの中で、編集部員たちが好奇心を研ぎ澄ませてきたのが、ブロスの特集の歴史だと言えるのではないか。「なんでもやれる」というと聞こえはいいが、制約なしで企画を考えるというのは、企画力のない人間には重圧でしかない。雑誌界の中でもかなり特殊な環境にあったブロスは、編集者の力量がシビアに試される場だったのだと思う。

 仮に「外した」としても、特集以外の部分が盤石であれば、大きなダメージになることはない。「安心して」は言いすぎだが、不要なプレッシャーにさいなまれることなく大振りできる。大振りの一つ一つは編集者の血肉となり、やがて記憶に残るような特集=ホームランが生まれていく…そういうサイクルがあったのではないか。

 だから、多用される割には非常にあいまいな<ブロスらしさ>という言葉は、きっと「社会がこうだから」「流行がこうだから」を基準にするのではなく、あくまでも自分の好奇心・興味に忠実に企画を組み上げ、具現化していく、ということを意味しているのだ。次頁から始まるのは、その<ブロスらしさ>の記録である。

(了)

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