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17才の帝国

将来実現しそうで、絶対実現しない。

そんな平行世界の苦い青春にSFと政治的側面を混ぜ込んだ今までに観たことないタイプのドラマ
2022.5.7からNHKで5話完結ドラマとして放送された。
noteの下書きのまま放置しすぎてだいぶ時が経ってしまった。

最初にタイトルや概要を目にした時は
なんかアニメ映えしそうな内容だし安っぽいのかなー
と毛嫌いして録り置いて観るのが遅くなってしまっていたけれど、観はじめたら一気に引き込まれてしまった。
 とにかくストーリーが濃い。どんどんと引き込まれる。映像は綺麗で全く安っぽくないし色使いに力入ってる。あえて言うならば嫌なNHKっぽさもないし、映画を観ているようで、よく5話で完結出来たなと思う作品。

 観る前までは、学生がメインを張るんだろうから、あまり演技は期待出来ないよなと、勝手に失礼な勘違いをしていたが、演技・演出ともにとても素晴らしかった。
 最低年齢は恐らく山田杏奈さん21才で、そしてこの方の「スノウ」と「サチ」の演じ分けが凄かった。画像を見比べても、すぐには同一人物とわからない表現力。

 もちろん、主人公「真木」を演じた神尾楓珠さんも良かった。
設定のせいかリアリティーを感じさせない人物ではあったけれど、合理的に、だけど随所に人間味を残す「理想の世界」に固執した人物であったことで、劇中の世界観をうまく表現していたような気がする。

 それから若者と高齢者の対比に中間の大人たちを入れる三者の構造も良かった。
中間の大人たちとして、星野源さん演じる平やと染谷将太さん演じる照が、最大幸福のための変化を厭わない若者と利己的(サチ曰く自分たちのことばっかり考える)大人に尻尾を振らざるを得ない立場に翻弄される感じは、17才が眩し過ぎて辛い。

 特に平さんは、まだ若造でオロオロしていた照と違って、若者と利己的な大人に翻弄されつつも真木に対しては立派な大人像を見せていたのに、
4話では平さんの17才について聞かれると口つぐんでしまって、その後のソロンとの対話では「あなたは私との対話の間、一度も本当のことを話していませんでした。」と内面を見透かされる場面は、平さんが17才の心を忘れてしまったのを見どころだった。

 平にとっての理想は夢物語になってしまっていて、現実とはあいまらなくなっていたことに葛藤していたように見えたが、ソロンの言葉によってその認識を強められることで「僕の17才は….もうとっくに終わってる。」と呟くシーンは苦しくも共感を覚えてしまった。

 AIでおばあちゃんを蘇らせて、おじいちゃんに見せていたシーンも強く印象に残った。
 おばあちゃんだけでなく、むしろ先に真木はユキの存在を過去のやり取りや写真などをAIに覚えさせてスノウに成り代わらせたけど、スノウもおばあちゃんに関しても気にしたい問題がいくつかあった。
 ① 実在した人物の外見を勝手に弄ったこと
 ② 実在した人物の思想が見えるもの(手紙や周囲の記憶など)をAIに人格として覚えさせて真似させて本人の代わりにしたこと
 この2つはかなり物申したいことがある。
 まず①に関して言うと、人の顔を他人が勝手に弄ることはどうなのか。
死んでもAIにして蘇らせて会うことが出来るって良さげな雰囲気に騙されそうになるけど、コラ画像やフェイク動画と同じことをやってる訳で、悪意がなければ良いって問題じゃない。
 次に②の場合だが、外ヅラだけで人格は形成されてないのにも関わらず、外ヅラだけで作られたAIが発した言葉が、あたかも本人が言ったかのように扱われる恐れがある。
嫌いな上司でも上手く仕事を回すために媚を売ることはあるし、親しい友人に見せる顔と赤の他人に見せる顔が同じじゃないように、誰にも見せてない自分だけの思いだってある。
例えば、ユキが実は親切心や正義感から真木と友達付き合いをしていただけで本当は嫌いだったと仮定した場合、
真木はそんなこと露知らず、自分に見えていたユキだけを良いように切り取って、好きなように作ったAIをユキとして扱って、毎日のように愛でて過ごしてるのを知った時、
ユキの立場を考えると気持ち悪いストーカーにしか見えないし、既に死んでるから文句も言えないのはかなり屈辱的。
もし自分が死んだ後に、自分の写真を老いぼれた姿に加工したリアリティー感のある画像を好きな人に見せることになったり、死んでからも嫌いな人に愛想を振り撒く姿を見せられたとしたら、絶対死んでも死にきれない。


最後のランタン祭りの光景では
 「ここにいない人たちにも参加してほしい」
という真木総理の想いのもと企画されていたが、開催の暁には真木自身が「ここにいない人」となって参加することとなる。
 沢山のランタンが浮かび上がる綺麗な映像ではあるけれど、AIで似せて作ったユキやおばあちゃんに実体が無いことに恐怖を覚えてたサチが、ある意味実体のない真木とランタンを上げるシーンは、サチにとっては平気そうで、理解に悩んだ。
 私がサチの立場だったらと思うと、実体のない少し成長した真木の姿は、AIの作り出した偽物かもしれないって疑いが湧いて不安になる気がする。
でも5話で完結させることを考えると、カットされた年月の間でAIを受容したと考えたら良いのかもしれない。


 2020年に公開されたリモート作品「肌の記録」を観たことがあるから、余計に偽物かもって疑心を抱いた自分がいたと考える。
近未来、リモートでのやりとりだけで実際に会うことは殆ど無くなる世界のストーリーの中での一言。
  「お前ら、本当にいるよね?」
実際は世界各地からメタバースで参加してる人々ではなく、AIが各々の知り合いに成りすまして存在している可能性。そんなことを考えてしまい恐怖を覚えた。


 どこにいても一緒にいられるように作ったユキ(スノウ)は、真木の手を離れて、ユキが生きていたら抱いたであろう感情(大人なんていなければいい)を人々に、
子供だけの世界を人々に見せるといった分かりやすい形で暴走をしてしまうけれど、
人々が気付かない形での暴走、たとえばスノウへの大人の関与を無くし、大人の投票結果を反映させなかったり、メタバースで訪れる大人の受け入れを拒否して、子どもには違和感を覚えさせないよう、スノウ自身が大人に成りすますようなことが起きたらと思うと、
恐怖でしかない。

 いずれ、今よりもずっと技術が進歩して、AIが側にいる生活が当たり前になるんだろうけれど、どれだけ技術が革新していっても人の手に負えないようなモノが作られないことを願う。

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