今朝、夢を見たので「夢」の話をしたいと思う

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「今ごろ、東京を離れてどっかにいただろうなぁ」。全く予定のない今年のゴールデンウィークの休み、そんなに早起きする必要ない。今朝はなぜか朝の5時に目が覚めて、その後は布団の上でぼーっとしていた。そして再び夢の中へ。あれっ原稿が書き終わっていない、会社のチャットツールで「sugahanどうなっているの?」と催促が来る。「これっ、今日は間に合わへんやつやん!」。そう思った瞬間に目が覚めた。

「夢で良かった」と思わずツイートした目覚めだった。

せっかくだから夢の話をしたい。前回のnoteで「オリンピック・パラリンピックの仕事をするのが夢だった」と記した。なので、今回は僕の夢について書いておこうと思う。元々、僕はアナウンサーになるのが夢だった。それも小学校高学年の頃から思い描き続けたものだ。アナウンサーになって競馬や野球、サッカー、陸上競技などスポーツの実況がしたかった。そうなると目指すのは、スポーツの祭典、オリンピックの実況である。

オリンピックの中継は、OBSという機構によって、全世界共通で流される映像が制作され、各国独自で実況と解説をつけていくというスタイルだ。日本の場合、この中継で喋るアナウンサーはNHKと民間放送連盟加盟社から選抜され、同じ競技を放送した際は同じコメンタリーが流れる。まさにオリンピックの実況アナウンサーは「日本代表」と言っても過言ではない。そんな舞台を喋れるアナウンサーになりたいと中高生の頃はずっと思い続けていた。

特にアテネ2004オリンピックの女子マラソンの中継は忘れらない。夕日が沈みゆくアテネの街を金メダルに輝いた野口みずき選手が駆け抜けていく。後ろからはエチオピアのキャサリン・ヌデレバ選手がひたひたと近寄る。実況アナウンサーは、冷静にそのタイム差や野口選手の表情を伝えていく。決して煽りもしない、聞いていて心地の良い的確な実況だった。「こんな名勝負を実況したい」。より思いを強くした。

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しかし夢は簡単には叶わないものだ。大学卒業時の就職活動で僕は放送局を中心に採用を受けるも、内定はなし。アナウンサー試験に至って、一次落ちが多く早い段階で断念した。実は就活を始める前に、もう一つの夢を持っていた。「スポーツ記者になって、スポーツの感動的なシーンを伝える」。僕の夢はアナウンサーからスポーツ記者に変化していた。大学生時代、大学のオープンキャンパスで学生スタッフをする団体に所属していたのだが、そこでオープンキャンパス時に掲示したプロフィールの夢の欄にも、しっかりそのことが書いてある。大学卒業後の就職先は新聞社で、スポーツ記者になる夢に迫っていた。

社会人1年目、最初の配属先は新聞のレイアウトをする整理部。現場で取材して原稿を書くのではなく、記者の書いた原稿に見出しをつけて、紙面に割り付けをしていく。特に楽しかったのが、スポーツ面を作るときだ。全国ネタの場合は、共同通信社から送られてくる原稿や写真をデスクからの一定の指示はあるものの自由自在に組み合わせて、紙面を作っていく。ソチ2014オリンピックや同年にブラジルで行われたサッカーのFIFAワールドカップの紙面を編集した。しかしどこか物足りない。「やっぱり現場に行きたい」と思っていたが、一方で「地方紙の自分にそんなチャンスは来ない」と現実を見るようにもなった。

2015年、僕は整理部から異動でスポーツ記者になる。念願だったはずのーー。その当時、地方紙で仕事をしてくことに不安を感じていた。僕の仕事をしていた県はJ3はおろか、当時JFLのクラブすら存在していない土地。自社で書くスポーツネタはもっぱら地元の学生スポーツで、正直に言ってプロスポーツを取材したくて業界に飛び込んだ分、気乗りしなかった。それでも現実を受け入れて取材に走り回った。そんな時にアテネ2004の金メダリスト、野口みずき選手を取材する機会があった。僕が10年以上前の夏の夜、テレビにかじりついたまさに「スター」のような選手で、テンションを上げて取材に行った。

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生で見た野口選手はテレビで見たとおり小柄で、30分近くインタビューをしたが、目はキリッとして言葉はハキハキ、「オリンピアンとはこういう人を言うのか」と感動した。この頃からであるもう一度、オリンピックを伝える仕事がしたいと改めて思い始めた。リオ2016オリンピックの前年ということもあり、ブラジル行きを探るも、壁は厚かった。そして僕は「もっと経験を積みたい、それが夢につながるかも」と淡い期待を持ってスポーツライブストリーミング配信サービスの立ち上げに参加するため、オリンピック・パラリンピックが行われる東京行きを決断した。

上京から4年、ついに夢を叶えるビッグチャンスをつかんだ。新しい環境に飛び込んで4カ月がたち最近、連載も担当するようになった。コロナ禍で在宅勤務だが充実している。そんな日々だからこそ、今朝あんな夢を見たのかもしれない。こうやって今までの道のりを書くと、「結構遠回りしてるな(笑)」なんて感じる。だって来年は節目の社会人10年目。そんな年に迎える東京2020大会を多くの人に伝え、みんなに「やって良かった」と思ってもらいたい。これが今の僕の夢である。

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