霊性と精神性
私が以前カウンセラーになりたいと思っていた同時期
友達はスピリチュアルなモノにハマり、セミナー等によく通っているようだった
ヒーラーになりたいと言っていた
否定や許否はしない
スピリチュアルやオカルトは私も興味がある
ただ、私と彼女とはヒトに対する思いや目的は一緒に思えるが、ヒトに対するアプローチが全く違う
私は愛すべきヒトに対して言葉を交わしたり、物理的に触れあったりして交流したい
目に見えない聖なるもの、の解釈が彼女とは違う
天国だとか、地獄だとか、神だとか、創造主だとかそう言うものではない
目に見えない聖なるものとは、内なる無意識の自分の感情と解釈している
モラルやルールを無視して欲望のままに生きていても、また別の自分がその行動を冷静に見つめている
悦びに身を任せれば自分自身や誰かを傷つけるのかも知れない
畏れを感じるまでに厳しい視線は眠らずに、どんな時も見つめている
そんな聖なるものを敬い畏れる事は自分自身や誰かを救うのかも知れない
ただ、
善か悪か、白か黒か、それを判断する思考とは、全く自分の概念と言う思い込みに過ぎず、神や天国や地獄と言うものが、もしもあるならば真実は死んでから答えが見つかるのだろうが、生きている間には知る術もない事
「在るもの」と「在って欲しいもの」の区別を知らなければいけないと思う
長々と書いたけれど、これに尽きる
例えば神様は居て欲しい、けれど、居るものかどうかは解らない、居て欲しいものと、居るものを一緒にしてはいけない
蛇足だけれど、内なる声に耳を傾け、少しでも迷う事や恥じる事が出来れば人間は愚かさを知り、人間らしさを与えられるのかも知れないと思うし、また、自分の愚かさを知りつつ、欲するまま愚かに生きる事もまた人間らしさだと私は思う
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