20240223

自分の中で自己の価値が確立されていない。
どうしようもなく価値を見出してしまう、自分が自分で居ようと心掛けても求められるものになってしまうのはもう癖なのではないか?と無駄に被害意識の高い他責の承認欲求。

自分に優しく期待してくれる人が居ることは幸せなことだと感じています。
でもわたしにはその親切心を受け取る度に本当はしょうもない人間なのに上辺だけ取り繕って騙してしまっているという罪悪感で心がチクリと傷んでしまうし、それなりに飲み込みが早い自覚はあるので見込んでしまう理由はわかるけれども、飲み込みが早い=頭が良いということではない。変に頭脳が一部特化しているだけで他はありふれた割り振りのステータス。なのでまあ努力してもしなくても最終的に結果は平均点に収束し、自分から離れていく背中を見てはせめてまだ関わって貰えている人達の期待には応えなければ、と焦燥感だけが募ってゆく。

それ+アクシデントに塗れた日々を繰り返せば当然自己肯定感のじの字も無くなる訳で、ぐるぐる思考を回すうちに話が飛躍してそうだ生きてる意味ないじゃん!と自殺衝動に駆られますとても。
勿論誰にもどうすることの出来ないタイプの人間なので、そこまで言っておいて流石に死ねなかったらヤダし死ぬのは怖いなーって首にカッター突きつけるつもりがいつのまにか脚にカッター刺してる。

話を戻して、今は学生だからその期待の対象は偏差値とか資格とか進路とか、そういうなんていうか努力している姿勢を見せる限りギリッギリめちゃくちゃおかしな結果を出さない限りはまあ良しだよねって許されるようなもので済んでいると思うんです。
でもそれが社会人だったりになると自分の行動ひとつに金銭と責任が発生して、具体的な期待の内容とかは職種によって変わるだろうけれど絶対ミスれないって並じゃない重圧があるんじゃないかなって。

そんなことを身近な社会人と話してみれば(もちろん冗談じゃないくらいバイアスが掛かっているだろうし)更に感情に拍車が掛かるわけで、低能な自分に未来への希望はあるか……???と現実を見させられる。

未来の為に今頑張るぞー!って思考には到底なれないし、そういう思考で数年生きて対して意味がなかったと失敗体験が染み付いているから毎日朝からだりー言いながら生活している。
もう自分でもどうすれば良いのかわからない。

誰かに相談しようにも七年前の恨み辛みに苦しめられるほどねちっこくてひねくれた性格なので、アドバイスひとつでさえいやそうじゃねーんだよ、とまともに受け取れるわけもなく腹だけ立ってなんだったんだこの時間なんて考える虚無タイムが作り出されてしまう……
本当に自分は浅はかな人間だと思います。というかいやでも思わせられます。

つまらない人生を歩みたくない。泥臭くても自分にしか無い何かを求めている。でもそういうものは苦しんで考慮してを繰り返した人だけが手に入れられるものだから、きっとわたしは手に入れられないでしょうし簡単にそれを語ってはいけない。

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