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最後の言葉 はじまりのとき

困ったら外に出よう。人に会って話を聞こう。
講師がそう言って最後の講義を締めくくった。

他者の些細な言葉に動揺したとき
仕事のちょっとした行き違いに疲れたとき
自分の感情のおさめ方がうまくいかないとき
そんな日もあるさと頭でわかっていても
ずぶずぶと脚先から砂に埋まっていくような錯覚から抜け出せなくなる。
やがてその黒い砂に膝まで埋まり
自由を奪われ、ああこのまま頭まで埋まってしまうのかと
自分で生み出した黒い感情に窒息しそうになるのだ。

HSPの人間は感受性が鋭い。
非HSPならば簡単に受け流せる他人の言葉も
体の中にずっと長く深く残ってしまうことがある。
一方で日常のちょっとしたできごとにも感動できる回数は、絶対的に多いと感じる。
たとえば毎日の通勤路、ビルの間に空く風が木漏れ日を揺らす景色。
なんとなくシャッフル再生したApple Musicでかかった曲が
ちょうどその時の気分とシンクロした歌詞だった時。
「神様!今日も私の人生を愛してくれてありがとう!」と思う。

大人になるにつれて、自分の機嫌をとる方法をいくつか見つけた。
ベランダで風にあたる
ビールとチヂミを買って一人で晩酌する
ルミネに新作の服を買いに行く
NHK人形劇三国志DVDコレクションを見る
本屋に行って小説やアート写真集をジャケ買いする
スーパー銭湯にふやけに行く
堅あげポテトとコーラをおともにプラダを着た悪魔を見る
すべて自分を甘やかすだけ、自分一人で完結できる行動だ。

けれど今日のモヤモヤは手強いぞと思ったら
人と会うこと。会って話を聞く。ビール片手に。
できれば一対一がいい。相手の言葉に100%集中するために。
職業の経緯、哲学、他人とのつき合い方、影響を受けた人のこと。
いろいろ聞いて自分の中にない要素を探す。
帰る頃には、キャッチしたキーワードで体がふわりと浮いて
取り憑いていた黒い砂は風に吹かれてどこかに消えている。

困ったら外に出よう。人に会って話を聞こう。
自分がなんとなくやっていたことを
ああ、やっぱりそうなんだよねと、肯定してもらった最後の講義。
もしかして自分めちゃくちゃ素養あるのでは!と思えた半年間。
40コマ
80時間
これをムダにするかしないかは自分次第。
講義の終わりは、はじまりのとき。

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