「きっかけ」はどう発生するのか、という話。
朝は鉛のように体が重く、もう会社を休んでしまおうかと本気で迷った日に限って、帰りにコンビニでアイスを買って「なんか良い日だったな」なんて思うんだから、人って本当に気まぐれ。
気まぐれといえば、本当に私は、あれやってみたい、これやってみたいということがすぐに頭に浮かんでは、いつのまにか消えている。
二年前、よく当たることで有名な占い師に「あなたは頭の中がアーティスティックだ」と言われた。一見するとなんかかっこよく聞こえるけれど、続きを聞くと、「想像力が働きすぎて、被害妄想も激しければ、痛みを想像してしまうので痛そうなことが苦手ね」とのこと。
アゲて落とされた。めちゃくちゃマイナスな内容だった。(それをアーティスティックと表現した占い師さんの方がよっぽどアーティスティックですよ、とは言えなかった)
とにかく、私はどうやら想像力は働きやすいらしいので、いい話を聞くとなんでも楽しそう、やってみたいと思うクセがある。
でも。
「本気でこれはマジでやりたいと思っていたことだ!(わくわく)」と思ってやる気スイッチが入ったとしても、実際にはほぼ何もしない。
最近、私はこの現象を見て見ぬ振りができなくなってきて、嫌気が差すと同時に興味が湧いてきた。
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仕事柄、成功者の話を聞く機会が多く、チャレンジすることに対してはいろんな刺激(自分にとっては勝手に激励)を受ける。
そういう方々が「どうやったら夢や目標を実現できたのか」というストーリーの中で語るエキサイティングな言葉たちは、当然わたしの背中を押してくれる。
「最初はできるはずがないけれど、何もしないと始まらない」
うんうん。
「失敗したら別の方法でやってみればいい」
たしかに。
「とにかく続けないと叶うものも叶わない」
そうだよね。
上っ面でも宗教でもなく、実際に夢や目標を叶えた話とともに語られるこれらの言葉には異様な説得力があり、いつも感心する。
でも、その言葉自体が、私のやりたいことを始める「きっかけ」にはなりえていないのだ。
言霊とかコピーとか好きなほうだし、言葉は良くも悪くも人を動かすと割と信じているほうだけど、でも、この分野、つまり何かを始めるきっかけとしては、言葉が機能してくれない。
やってみたいと思っても、いろんな言い訳が浮かんでくるうちに、それを一つひとつ解決すると思うと気が遠くなって、現状維持に落ち着くのが常。
お金がない。人脈がない。やり方がわからない。未経験。エトセトラ。
文字にするとかっこ悪い言い訳だらけでイライラするけど、でも言葉よりもこれらのほうが勝ってしまうことは事実。
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じゃあ、
「何がきっかけでこの重い体が動き出すのか」
これが、結構気になっている。結構本気で真面目に知りたい。
いろいろ言い訳は並べられるけれど、それでもそんなこと関係なくチャレンジしてやる!と、走り出した足が止まらない、いけいけ、あたしの両足♪(世代) となるきっかけは、どうやって発生するのか。突き動かすものはなんなのか。
ちょっとライフワーク的に、この答えを探してみたいと思って、超絶久々にnoteに書いてみた。
わかったことはどんどんこの本文に追加してバシっと決めたいと思いつつ、これをそのまま更新したら軌跡が残らないので、まだ見ぬ答えに向けた永遠の下書きの気持ちでとりあえず投稿する。発見は徐々にこの文章に追加しながら、別の投稿としてあげていこう。
いま、やる気めっちゃある。
とはいえ、なにせ、やりたいことはすぐに消える性分なので、この企画自体がなかったことになる可能性は非常に高いわけだけれども。
2020/10/28
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