静観してみる①




✨妹のお骨は弟が札幌連れてった。
わたしは少し落ち着いた。
書きたいと思うこと、のんびりと気が向いた時書いていきたいと思います。✨




視覚で妹を観ることはもうない。
これからは観えない感覚での妹。


妹はからだから抜け出て行ってから、わたしとの対話が早くなった。


肉体の防御は厚いんだ‥

肉体のバリアがタイムラグ起こすんだ。

そのものだけになると瞬く間なんだ。




 

  🌻 🌻 🌻


7月下旬にまた緊急入院して…旅立ちまでの3週間ほど、病院から2度呼ばれ面会に行った。

2度目は旅立ちの日の午前中。
病棟から「来ていたほうがいいと思います。」の連絡が入って、弟やおば、いとこに連絡をした。

弟家族は前日に面会に来ていたようで「これから家に帰ろうかと思っていたところだった。」

病院でわたしも久しぶりに弟に会えた。





妹はHCUで面会したときとは姿が違いました。


呼吸は苦しそうで…酸素しているけど肩で呼吸している。酸素がうまく取り込めなくなっている様でした。

(局所麻酔の手術は出来る状態じゃなくてしていなかったそう。空気漏れが治っていないから苦しいのでした。)



寝て呼吸しているだけの様子。。
意識はほとんどなかったと思う。


酸素は5リットル回して、全部の数値は安定していました。




妹とふたりで病室にいる時、いつもの様に話しかけるけど涙が出ました。


わたしはそれまで涙は出ていなかった。気丈にしてるとかじゃなくて…またよみがえってくるのかなって感じていたから。


その日のその時は「頑張ってるね。すごいね。苦しいよね。そんなに苦しいのに頑張ってさ、、退院したいね、施設帰りたいね、、新しいとこでも楽しみたいよね、、」話しながら泣けた。手を触れても反射反応ない。手は温かかった。


頑張っている姿が胸締めつけられていました。





「しばらく大丈夫と思いますので帰られてもいいですよ。なにかあればお姉さんに連絡します。」面会の時、状態落ち着いて看護師さんがそう言ったのでみんな一回帰宅。



 

  
  🏡 🏡 🏡


帰宅後、すごく疲れてて。少し昼寝して起きたとき、からだが重くて重くてしょうがなかった。尋常じゃない重さ。自分全体が砂袋みたいな…うまく動けなかった。息するのもこわかった。


(なんかこれって、)とは感じた。



重いからだを、ストレッチしたり呼吸法したりクールダウンするみたいに脱力したり…調整した。それでも夜までこわかった。


からだ動けて来ていたのでシャワー浴びようかどうしようか考えている時に病院から連絡入った。夜勤の看護師さんから。


「全体的に下がってきています。呼吸もゆっくりになってきています。もう、さいごの時の状態になってきています。」



急いで支度。
でも病院行くまで20分くらいはかかる。気は急ぐ。落ち着いて、落ち着いて言いながら準備。


車手配して待っている時また連絡。


「今、呼吸止まっちゃいました…。」



えっ!!
止まっちゃったの!?
えっ、えっ、待って、待って、
わたしの呼吸も止まりそうな・・・



「ひとりで逝ったの?待っててよ〜。」なんて呟きながら…



タクシーの中では夫やいとこに連絡して、葬儀屋さんにも連絡した。「(挨拶して妹の状態を話して)〜〜をお願いすることになると思います。病院からまた改めて連絡します。よろしくお願いいたします。」



  

  🏥 🏥 🏥


妹は白くなってきていたけど温かさはあった。


「まだ耳は聴こえていますのでたくさん話しかけてあげててください。」看護師さんが言う。


からだ触って声かけた。話した。
涙流れて止まらなかった。
「頑張ったね、頑張ったね、良く頑張ったね。もう休んでいいんだよ。頑張らなくていいんだよ。疲れちゃったよね。おつかれさま。本当に良く頑張ったね。ありがとうね。ありがとう、ありがとう…」

話しかけてたくさん泣いて泣いて泣きました。


ひとしきり涙が出たあとは、妹の話を看護師さんにしていました。


泣いて笑っていそがしかった。




⭐妹、ひとりで旅立ってたくましいな。

看護師さんに看取られたんだな。

その時そばにいたかったけど…
もしかしてそうしなかったのかな?

そうしてもらいたいと思ったら間に合う様になってるもんね。


両親来たから安心して逝ったのかもね🥲





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