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能力が上がると、地獄への扉が開く
ちょっと忙しすぎる。
などと言うと「忙しいという言葉は心が亡くなると書くので、使うべきではない」的なことを言ってくる人が必ず出てくる。
いや、わかりますよ。
これまでももちろん「忙しい」と感じることはよくあった。
とりわけ広告をつくる仕事をする業界は、ハードワークになりがちだ。クライアントが求める満足度を上回っていくために、数えきれない作業を重ねていく。
人の話を素直に受け入れることができなかったぼくは、やらなくてもいい作業に身を削り、成果も出せず、成長できずという地獄を味わった。
メンタルが蝕まれることも数知れず。
来年こそはやめてやると毎年のように思い、そしてやめられずにいた。
ただし、こういう仕事を14年も経験していると、さすがに合格点にたどり着くために疲弊しきることはほとんどなくなる。
こんなぼくでさえ、要領を得てくるのだ。
ゴール地点に旗を立て、プロセスを設計し、それに対してみんなで進んでいく作業はもはやルーティーンのようになってきた。
だったら、時間に余裕ができるのでは? 忙しさは緩和されるのでは?
とも思うかもしれない。ぼくもそう思った。経験を重ねれば、もっと仕事がラクになるはずだと思っていた。
ところがここで不幸にしてくるのが「疑う力の向上」だ。
ある程度、こうしたらいいんじゃないかという道筋が瞬間的に分かると、今度はもっとこのプロジェクトを良くするために何ができるのだろうかと、今をベストだと思わない感性が出来上がる。
一見、素晴らしいことに見えるが、これは地獄へ足を踏み入れたと言っていい。(ということに後になって気づく)
そんな時間をどうやって取るのか。
人をふやしたり、予算をふやしたりしない限りは、そう簡単に迷っていい時間は手に入らない。
そもそもこの両者をいずれかでも実現させようとすると、ぼくらの仕事のビジネスモデル、採用活動、ブランディングを見直す必要が出てくる。
短期的に解決できるテーマじゃない。
となると、日々の労働時間を伸ばすことしか、迷える時間は手に入らない。
ハードワークができあがる。
迷えば迷うほど不安が生まれ、その不安をつぶすために調査したり、議論したりして、身も心もまた削られていく。
さらに長期的に採用力を高め、利益構造も変革していきたいから、企業活動そのものを見直すことも強いられる。
気が休まる瞬間はほぼない。
能力は上がっているはずなのに、過酷さは増してきている。
疲労感は見せないようにしているが、それでも「大丈夫か」と声をかけてくれる人たちもいるわけで(ありがたい)。
ただでも、そんなやさしい彼ら彼女らが、具体的に何か解決策を示し、手伝ってくれるわけではない。
希望と絶望のミルフィーユ。そんな時間の連続が人生なのか。
この生活に対しての解決策は未だ見つかっていない。
とりあえず、無理矢理前向きになったりせず、我慢しながら、目の前のことを一生懸命やっていくしかない。
パソコンに向かってタイピングをしているだけでは到底、突破口は見つからないだろう。神様はインドアのヤツには厳しい。
「逆境に燃える、人と企業をふやす」ということを信条に持っているからこそ、ここで投げ出すわけにはいかない。がんばりますよ。おれは。
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