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2019年3月11日 震災から8年目の3.11

あの日僕たちに起こったことが何だったのか。避難所や仮設住宅の日々。世界中の人々が東北に想いを寄せ、本当に多くの人々がこの地を目指して駆けつけてくれた。そして一緒にいっぱい泣いたし、いっぱい笑いあった。
痛みの大きさは人それぞれ。絶望も希望も味わってきた。身内の捜索を震災から3ヶ月でやめ、この地に残ることを決めた。今から5年は活動を続けると、その時自分の中で誓った。


大きな痛みや苦しみもあったけど、震災後に、僕たちや東北に関わってくれた多くの人が経験してきたことの中には、本当に尊いもの、何物にも代えがたい価値のあるものがたくさんある。僕は、あの日から始まった日々が、何一つ無駄ではなかったと、本当に価値のあるものだと証明し続けるために、これまで活動を続けてきた。いっぱい多くの人に背中を押してもらって。多くの仲間たちと共に。あの日の悔しさや受け取った想いを糧に。


時の流れが早くて、東北の外ではもう東北の話を聴く機会はほとんどない。でも、まだ仮設住宅もあるし、福島の放射能の問題も解決はしていない。あの日から時間が止まったままの人もいる。忘れかけた痛みと忘れようとした痛み。でも忘れたくないと多くの人が言う。


追悼式、7年前のそこには遺族代表の自分がいた。多くの人の優しさの中にいる自分は、とても幸せです。とそう答えたのを覚えている。今もその時の想いは変わってはいない。


自分は震災にしがみついているのかもしれないと、たまにそう考える。でも、今はそれでもいいと思う。
3.11後を生きる。その意味を、僕はこれからも考え続けたい。

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