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2019年2月24日 南三陸町 語り部フォーラム

3.11が近い。今日は南三陸で語り部フォーラム。
先日議会で気仙沼の震災遺構「向洋高校」と震災伝承館を一足早く視察した。教室は当時のまま。三階には波で運ばれた車がめり込んでいた。


伝承館で震災に関わる映像を見た。地元、階上中学校。震災の年、卒業式で話された卒業生代表の言葉。彼の言葉に当時の感情が蘇ってくる。
彼の言葉は平成22年度の『文部科学白書』に全文掲載され、メディアでも大きく取り上げられています。一度は見たことがあるかもしれません。


もし関心があったら、東日本大震災 階上中 で検索してみてください。彼の姿や言葉は、大切なものが何か思い出させてくれるかもしれません。
以下、全文も掲載します。


「答 辞」
今日は未曾有の大震災の傷も癒えないさなか私たちのために卒業式を挙行して頂き有難うございま す。
ちょうど10日前の3月12日、春を思わせる暖かな日でした。私たちは、そのキラキラ光る日差しの中を希望に胸を膨らませ、通いなれたこの学舎を57名揃って巣立つはずでした。
前日の11日 一足早く渡された思い出の詰まったアルバムを開き、10数時間後の卒業式に思いをはせた友もいた ことでしょう。
「東日本大震災」と名付けられる天変地異が起こるとも知らず......
階上中学といえば「防災教育」といわれ、内外から高く評価され、十分な訓練もしていた私たちでした。
しかし 自然の猛威の前には人間の力はあまりにも無力で、私たちから大切な物を容赦なく奪っていきました。天が与えた試練というにはむご過ぎるものでした。
辛くて、悔しくてたまりません。
時計の針は14時46分を指したままです。 でも時は確実に流れています。 生かされた者として顔を上げ常に思いやりの心を持ち 強く正しくたくましく生きて行かなければなりません。 命の重さを知るには大き過ぎる代償でした。
しかし
苦境にあっても
天を恨まず
運命に耐え
助け合って生きていくことがこれからの私たちの使命です。
私たちは今、それぞれの新しい人生の一歩を踏み出します。どこにいても 何をしていようとも、この地で仲間と共有した時を忘れず宝物として生きていきます。
後輩の皆さん、階上中学校で過ごす「あたりまえ」に思える日々や友達が如何に貴重なものかを考えいとおしんで過ごしてください。
先生方、親身のご指導有難うございました。先生方が如何に私たちを思って下さっていたか、今になって良く分かります。
地域の皆さん、これまで様々なご支援を頂き有難うございました。これからも宜しくお願いいたします。
お父さん、お母さん、家族の皆さん、これから私たちが歩んでいく姿を見守っていてください。必ず良き社会人になります。
私はこの階上中学校の生徒でいられたことを誇りに思います。
最後に、本当に 本当に 有難うございました。
平成二十三年 三月二十二日
第六十四回卒業生代表 梶原 裕太

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