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2020年3月11日 東日本大地震9年目

今年、追悼式は開催されません。
2012年の追悼式では、遺族代表の言葉を述べさせていただきました。議員になる前は、いつも海のそばでその時間を迎えていました。その方が自分の気持ちと向き合える気がします。
あれから本当に多くの人と出会い、多くの出来事がありました。あの日から始まった物語はどこへつながっていくのか。当事者の想いや、3.11に関わってくれた方々の想いがどこにつながっていくのか。自分はそれが知りたくて、無駄にしたくなくて、今も活動を続けているんだと思います。
海で迎えた 9年目の3.11。
当時の追悼式で自分が話した内容を見つけました。
よければ読んでみてください。


 一年前のあの時、3月11日2時46分。今まで経験したことのない大きな揺れを感じ、私たちは、あの大津波を経験しました。国道は完全に寸断され、電線、水道管、全てのインフラが機能を停止し、数えきれない程の多くの家が流され、たくさんの尊い命が犠牲になりました。あの日から1年、街の風景はずいぶん変わりました。街なかからはがれきが姿を消し、代わりに仮設住宅が建ち並びました。壊された道路は再び舗装され、新しいお店もいくつもできました。多くの人が少しずつ前に進もうとしています。しかし、一方で傷つき、心の支えをなくし、前を向くことができなくなった人もいます。仕事失い、この街を去らなければならなかった人もいます。帰る家を失い、故郷に戻ることができなくなった人もいます。私は、地元がこんな風になってしまったことが、悔しくてならない。
 1年前のあの時、私たち家族は母を失いました。震災当日、母は自宅にいました。私が駆け付けた時には、建物は流され、跡形もなくなくなっていました。あたりはすっかり暗く、不安が心を覆いつくしました。私はすぐに近くの高台に車を走らせました。しかし、そこで知らされたのは、母が家とともに波にのまれた事実でした。祖母が泣きながら私に訴えてきました。それから3か月間、毎日家族とともに海岸線のがれきの中を探しました。そして、遺体安置所への往復を繰り返しました。しかし、ついにあなたは見つからなかった。私は、あなたに伝えたいことがあります。
 震災後、私はずっと避難所の運営に関わってきました。毎日届く支援物資を、地域の人と協力し、分けて配っていました。避難所の解散後、仮設住宅に移ってからは、支援団体の職員になりました。たくさんの支援の話を、必要としている人につなぐ仕事です。震災から今まで、大変なことがたくさんありました。でも、地域の人がいつも助けてくれました。家族が、身内が、悲しみを分かち合ってくれました。たくさんのボランティアの方が、私たちを心配してれました。数えきれない多くの人のやさしさの上に、今の自分がいることを実感しています。今までどれだけ多くの人に助けれてきたのでしょうか、心配されてきたのでしょうか。それを強く感じる環境にいる私は、幸せだと思います。だからこそ、そのたくさんのやさしさを、できる限り届けたいと思うのかもしれません。
 昨日、地域の人たちと、地域の中にたくさんの桜の木を植えました。ある人は、津波の記憶を後世に伝えるために、ある人は、自分たちがこの津波を生涯忘れないために。ある人は、自分の亡くなった家族を供養するために。様々な想いを込めて、みんなで桜の木を植えました。この桜も、誰かが届けてくれたやさしさです。今朝私は、自宅の跡地に、もう一本だけ桜の木を植えました。あなたのために。あなたのもとを訪ねてくる人が、あなたにお別れを言えるように。海の見えるところで、きれいな花を咲かせることを願って。

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