2022年12月1~4日(晴れ)

夜の始めのころな時間に到着。
県庁所在地で新幹線が止まるデカい街でフェロとラベラに会う。
久しぶり。
最後に会ったとき、フェロとラベラはセカンドインパクト直後で、15年ぶりだか3年ぶりだかな今、左眼に黒い眼帯してる(←わたしの心象印象)。
「じゃ夜ごはん何か食べよ」てなりその場で短く協議し、アルコルなしでゆっくり話すのなら、で結果、付近のファミレスへ。

「で、そもそも今回なぜrrは来たか?」
「この地の大きな川の近くに叔父の墓があって、コロナ禍に亡くなった叔父は葬儀が極シンプルでわたし参列もできなかったので墓に直接会いに行こ思ってそのことが具体化してきたころ(この前10月ごろ)、あーたからものすご久しぶりにラインあって【じゃ久しぶりに話す】てなって、なのでちと合わせ技的ではあったんだけど参上つかまつったという次第でして」(←家康公ゆかりの地なのでそのような語尾)
「ふーん」言いながらフェロとラベラは和食なお膳のセット、箸でものすご少しずつゆっくりちまちまお口に運んで食べてた。
お育ちいい人的に(←アタマいいから擬態かも←ずいぶん失礼)。
そしてフェロとラベラがその後のこと、および近況を述べるターンへ。
その話は大変興味深かった。
フェロとラベラなので話の縦線はもちろん今現在のラブ&セックス。
が、その話は貫かれてる縦線がもうひとつあった。

フェロとラベラは今現在のラブを通して自身のラブに初めて懐疑的になり、そのことはストレートにセックスにも直結し、結果「自身が生きてゆくことについて」という深遠な方向に舵切ったんだそうな。
「おおお何だかゼーレの目的のよう」
言いながらわたしは細かく単品でオーダしたペスカトレやマルゲリタもぐもぐ食べてた(←すごお腹すいてて)。
ゆえにもうひとつの縦線の名は人生補完計画(←わたしの印象)。
そしてフェロとラベラは来年まだ冬なころに今の生活を大きく変えることを決断した、のたまった。
会談は2時間くらい。
普通このよなとき、親交を温める的に過去の話などおこなうが、そのよなことはなし。
必要ないのかそのよなことにメモリを削けないくらい記憶の容量がささやかなのか不明(←わたしはたぶん後者)。
のち駅で「じゃね」てして楽天トラベルで予約してたホテル行って入って歯みがきして眠る。

翌日お昼ごろ、マルチバース世界からイレブンナインがやって来た。
デカいベータボックス点火させて。
マルチバース世界からやって来た(超巨大お山をはさんだ隣接する県からやって来た)イレブンナインは音声通話で「今どこか?ほんとにいるのか?」言った。
「いる。今なんちゃら通りのサンマルク」
「そこどこ?」
「わからない」
お互いグーグルマップのおおよそな土地勘しかないため話が進まない。
駅ロータリで待ち合わせ。
イレブンナインは車でやって来てた。
お昼ごはんせっかくだから、さわやか、食べようてなるがもちろんもれなく2時間待ちで断念、残念、無念。
近くで他のもの食べのち霊園へ。

冬のおだやかないいお天気。
風なく雲が複雑な形しながらゆっくーり動いてた。
到着し手分けして叔父の墓探捜す。
あった。
叔父は黒っぽい石になってた(あたりまえに)。
「なーなーイレブンナインくん、ちょとどっかあっちの方行っててくんないかな」言いイレブンナインが駐車場の方へ歩いてくの確認したのちにわたしは泣いた。
墓前に立ったとき、いかん、こりゃちと涙出る、な感があり実際そうなったがしかし、ちとどころじゃなかった。
意味わかんなかった。
泣いてて。

その後、イレブンナインと海まで行って釣りした。
イレブンナインはマジな釣り者で、常に釣り具を車に積んでて、そして「今回海近くに行くなら時間あったら釣りしたい思ってる」昼食時に言ってて、霊園駐車場出るとき、今から行こ、提案され「うん」言った形。
どうも気を遣われたようだった。
くっそ。

叔父とは住んでるところも離れてることもあり何年かに1回、ときどーき、法事やらなときに会うふなだけだった。
会ったときはただ普通な世間話、気候や世の中や親類の誰それが、をおこなったがそこにはいつもそのときどきのわたしにとっての何かしら示唆的で含蓄ある言葉が含まれてた。
そしてそのことはだいたいあとからすごくびっくりする、なふだった。
日々生活しててときどき、年に2、3回くらい、会って何か話したいなー、思ったがそのよなふで会うことはなかった。
そーこーしてるうちに叔父はもうこの世にいない。
コロナ禍でお葬式的なものは超簡略て聞き(いとこの者から)、墓を訪れなければて思った。
わたしにとってそのよなことはかなり異例だった(そゆことがちゃんとできないダメ人間だから)。
慰めの報酬で終盤、ヒロインの人が「死者は何も求めたりしない」言うがJBの人はおおむねそれに同意するものの何かひとこと言いたげだった。
「ねね叔父さん、どう思います?」たずねたとき叔父はにやにやしながら、「だからrrくんさぁ…」て言う。
が、もうそれを聞き取ることはできない。

釣りして夕方また街の方へ戻りチェックインし夜ごはんお鮨屋で食べ(今回のことのお礼含む)、翌朝7:00にロビーで合流したときイレブンナインが「ビュッフェでオムレツその場で作ってくれるよなの食べてみたい」言うので(疑:お礼足りなかったか?)、そのよなデカいホテルまで歩いて行って朝ごはん食べた。
そのよなオムレツやらハウルの動く城の朝ごはんのベーコンのよなのやら焼きたて的で重層的バター味風味のクロワッサンやら濃くて冷たい牛乳やら。
やたらおいしかった(←あたりまえです)。
そのあとイレブンナインと「じゃね」てしてファウエストな人に会い行った。

中部地方の大きな川が2本うねってる間の地、その北側を静かーに流れてる川近くにファウエストな人はいらっしゃる。
コロナ禍直前に大病を患われ入院、手術を過されたと聞きくが直後のコロナ行動制限などで見舞いは叶わなわず、経年解除になった今に訪問、が経緯。

当初予定は2泊3日だったがフェロとラベラに会うことにもなり3泊4日になる。
それぞれの日にそれぞれの人に会うのが目的。
フェロとラベラ、故叔父、そしてファウエストな人。
そして故叔父とファウエストな人の日には供の者が必要だった。
是が非でも。

イレブンナインは「まぁそんなに遠くないし海も近いから(←釣り好き)いいよ…いや1日なら」言ってくれたが、そするとあともうひとり、てなり困る。
ファントムメナスにはその前に断られてたがもいちど打診してみる(音声通話で)。
「うーん行くところはおもしろそだけどめんどくさ」と微っ妙ーに食指が動くさまなよで、何か有利になる条件をわたしから引き出そうとしてるか?的ではあったけどあれこれ話し最終的に「1日なら」でOKいただく(複数のバーターで不利な安政の5カ国条約締結のようなふで)。
それもこれもわたしの友人の少なさによる身から出たさび。

県庁所在地にして県の名前を冠した駅、第六天魔王さまが立っておられる広ーいロータリにファントムメナスも立っておられた、いや、立っていた。
前日に引き続きいいお天気、風もなく、空が冬の真っ青なふ。
「おおお、あーたほんとに来てくれたんだー」
「疑ってたとは心外な」
「いやいや本当に感謝してますて。本当に」

「じゃドトールで」とかなんとかで歩いててYNGSエリアへ。
はじめて訪れただけど、なんか潜在的凄みのあるところだなー、が印象。
チェーン店もなんなので、で古い作りな店舗の喫茶店、おじいさんとおばあさんがやっている、に入る。
別にスマホで調べたりせずに、だけど出色にいい感じだった(ここでの出来事は割愛)。
「これはぜんぜん普通なことなのだよrrくん」てファントムメナスはのたまった。
この人中京圏のことにやに詳しいことを知る(なぜ?には無回答)。

ファウエストな人は、わたしが選ぶわたしに深く影響を与えた人100人、に余裕で上位に入る、いや、5指に入るな人で(←はじめっから5人で充分、そしてこの言いぐさはタイム誌とかNW誌のマネしてみたかっただけ)、その影響とは精神的に、考え方的に強力に世話になった、というふう。
ファウエストな人と接することがなかったらわたしはずいぶんめんどくろくでもない人間(今の1000倍)になっていた、て思う。

ファウエストな人はお元気そうだった。
「ご無沙汰しております」
「おーrrくん、遠いところわざわざありがとー」
「いえ、それより経過はいかがですか」
「もうすっかり」
というふから話は始まり、しばらくお話しする。

ファウエストな人は元嫁の人のお父さんで、わたしが婚を離する前は普っ通ーな親戚づきあいをおこなっていた。
離婚騒動が勃発しその真っ最中、かなりシャレ抜きにドタバタしてるときメールをいただいた。
そのメールには、キミの気持ちと考えが知りたい、て書いてあった。
わたしは、経緯と迷惑をかけてしまっていることを詫びとこの顛末で誰もはちゃめちゃにならないふうにする(誰もとは元嫁の人およびわたし自身および周辺の人たちの心情)なことをものすご長いメールに書き、返信した(結果的に長くなってしまった)。
後日、その返信が来た。
そこには短い文面で、感動した、て書いてあった。
そして、離婚のことはrrくんに任せる、て書いてあった。
意味がわからなかった。
お義父さん、「感動」も「任せる」もこのやり取りにおいてはダメじゃないですかー、て突っ込みたかった。
文面をそのまま受け取っていいのか暗喩なのか判断できなかった。
が、そのうちそのよなこと、この判断とやら、がとても矮小なことのよに思えてきた。
わたしはおのれのエキセントリックさから来る他者への視線を恥じた。

その後、離婚は正式になされてしまいお義父さん、いや元お義父さんとの縁は切れてしまう…が通常なところだけどそうならなかった。
ときどき、すごくときどきメールをいただき、わたしは返信した。

元お義父さんのことは、物事への「こだわらなさ」と「こだわり方」がの輪郭がハッキリしてること、と、底の見えない奥深さ、しかわからない。
それはぜんぜんさっぱりわからないということに他ならない。
そのことは何年経ってもいつまで経ってもぜんぜんさっぱり変わらなかった。
元お義父さんはお金持ちなおうちのお生まれで、以前、若かりしころのお話などをうかがったがそれは、スーパー大らか、がその印象だった。
ピンチもチャンスもすべての喜怒哀楽も。
まるでおとぎ話て形容できるふだった。
そして「そのことは」、「そのことが」今の今までもずーっと続いてる、て感じる。
お話する機会があるときいつも。
それは「マジですごい」とか「あり得ない」いう言葉を大幅に通り越した「ぜんぜんさっぱりさ」につながってる。
そして「精神的に、考え方的に強力に世話になった」のはダイレクトにこのあたり。
わたしはこのような人を他に知らない。

「ではまた機会を見つけて参ります」言い辞して外に出て歩きながらファントムメナスに「どこにいるか?」ラインした。
ファントムメナスは山の上のお城で待ってた(←観光、ロープウェイで登る)。
「どうだったか?」
「うん無事に。」
「それはよかった。…がrr、なんかすごい顔色してるぞ。」
「え?そなの?」
「具合わる?」
「いや、別に、特には」
「でもまぁ特にわるくないのなら」

山の上のお城は第六天魔王さまの居城であったそうでその見渡せるロケーションはすばらしかった。
戦国時の戦略的視点でこの地を選ばれたとのことだけどそれだけとは思えないほど。
しばらく眺めまわしながらファントムメナスに今回の礼述べる。
「どうもありがとう」
「うん」
「今回ファウエストな人にお会いするのは、今生の別れ的に、と最後て踏んでいたのでいろいろと」
ファントムメナスはそれ聞いて「全方向に傲慢だなぁ」言って笑った。
そして「でも、まぁ、その事情や考えはわたしにはわからないけどでも、そう手当たり次第決定しなくてもいいはず」言った。
そのことはそれまで考えなかった訳ではないけど、そのとき、たしかにー、て思う。
染み込むように。
そのよなあたりまえなことが金言。
なのでこんなふ、て思う。
その業界では、思い出すことが最強。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?