【ディス、バックトゥタウン】

以前、つきあっていた男子人の通信端末こっそり見て、そこに書かれていたことがらをぜんぶ読む、画像を見る、とゆう倫理的にいろいろアウトなことしでかしたとき腰抜かした。
ものすごくびっくりして。
文字通りもう立っていられなくその場にへなへなへなって座っちゃうとゆうふう。
失禁してたかもしれない(いやこれはないな、でもそう言い切れない)。
そして何がどうびっくりだったかはここでは略。

そこからわたしは嫉妬とゆう生き物を飼うことになった。
嫉妬はわるい話(とゆうか情報)を日々食べながら成長していった。
わたしはできることならそのような食べ物を与えることなく餓死させるか、やはり食べ物を与えることなく弱りきったところをrrが持ってたアーミーナイフで喉元を切り裂いて殺してしまいたかったが(rrはきっと貸してくれないから勝手に持ち出して)、そんなふうにはならなかった。

嫉妬は日増しに栄養価満点のごはんを食べ攻撃力、守備力を爆発的に高めながら成長していき、それにともない素早さや耐久性そして知能までも獲得していった。
そして嫉妬はわたしのすべてになった。
24時間嫉妬と話し(眠ってるときでさえ)結果、どんどん仲良くなりもう従属や隷属してる、てゆうふうになった。
わたしは嫉妬をもちろん憎いて思った(本当に憎かった)。
が、わたしは嫉妬を説得することができなかった。
嫉妬はエネルギーの塊のような少年や交渉に長けた営業マンやすべてを見通した老練なおじいさんのような顔(側面)をいくつもいくつも持っていた。

嫉妬の抵抗勢力である理性や合理性ももちろんわたしの中にいた。
しかしそれらは強力な、もはや魔的な力を持った嫉妬の前ではまるでマジな軍事兵器に戦いを挑もうとするディズニーランドのキャラクターのようだった。
それでもわたしは理性や合理性を身体中からかき集めひとりの時間に考え、考え抜き、それを持って男子人と話した。
何回も何回も何回も。
でもダメだった。
感情を最優先事項とし鋭い刃物のような言葉を操るわたしはなんかもう人間ではない別の生き物のようだった。

そのようにしてものごとがダメな方へダメな方へと動いていってるある日、嫉妬はわたしの心の中のちょっとした広場の地面に大きな魔法陣を描き、その端に立って長い呪文を唱えどこかから何かを召喚した。
その何かの名前は寂しい気持ち。
その寂しい気持ちは、それまでわたしが「寂しい気持ち」としてたものがまるでママゴトかよてゆうくらい強力で強烈なものだった。

ディス、バックトゥタウン

それから嫉妬と寂しい気持ちはふたりでかわりばんこにわたしを監視、誘導、強要などと好き勝手し放題にした。
ふたりは交互に現れ別々に仕事をした。
嫉妬はわたしの想像力を支配し、そんなこと想像したくないてゆうことを繰り返し想像させた。
寂しい気持ちはリアルタイムな気持ちをそのときの身体に必要以上に直結させ、寂しい気持ちにならないためだったらなんでもするてゆうふうにわたしを変えた。
季節は夏ごろから真冬まで。
そのようにして日々は過ぎてった。

嫉妬はだんだんだんだん物静かな生き物に変わってった。
風貌はトゲトゲとかチクチクとかしてるがあまりしゃべらなくなりただぼんやりイスに座ってるふうとゆうふうな状態が多くなってった。
嫉妬がそのようになってったのに対し、寂しい気持ちは猛威を奮った。
昼間の日常、働いてるときや友だちと過ごしてるときとかに「あぁこのあとうちに帰って夜ひとりになるんだー」思うと本当にマジにシャレ抜きに怖くなり、それはまるで遠くにいる寂しい気持ちの足音がほんのちょっと聞こえただけで焦り、慌て、泣きたくなるてゆうふうだった。
いや実際泣いた。

この寂しい気持ちの存在はわたしのすべての考え方を変えた。
それまでももちろん寂しい気持ちはわたしの中にあった。
あー寂しいなーとか寂しくてやだなーとか。
しかしそのとき嫉妬が召喚した寂しい気持ちはレベルとゆうかランクとゆうかグレードとゆうかすべてが桁外れだった。
わたしは寂しい気持ちに理由を求めた。
「なに?これは」
寂しい気持ちはわたしの方を見ずゆっくり「こうなった責任の所在はすべて被告にあります」て言った。
法廷の人みたいに。
そしてわたしのすべてのなぜ?にはっきりとした理由を突きつけ追い込んで来るとゆうふうだった。
実際すべてがその通りで「はいその通りです」てわたしは言った(思った)。
何をどのように考えても「はいその通りです」だった。
そしてそれはわたしの中のいろいろな基準になっていった。

ひとりの時間の寂しい気持ちは恐怖そのものだった。
わたしは予定を入れ、外出し、とにかく誰か人と会い、飲酒して、セックスして予定を入れて…とゆうようなことを続けた。
それが唯一「かわす」とゆうことだった。
でもそれを続けててもどこにも行き着かなかった。
そして、それに、そんなことばっか続けることなどできやしなかった。
わたしは反抗作戦を展開するのをやめた。

それでも日々は過ぎてった。
周りの人たちは少しずつ入れ替わってった(この日記に出てくる極少数の人を除き)。
そしてわたしはあるとき、嫉妬も寂しい気持ちもわたしだ、わたしの一部でありぜんぶだて思った。
小さな思いつきから生まれたそれは個人的にはちょっとした発明だった。
わたしはそれをいつもポケットの中に入れ、常にこねくり回し、自身に浸透させるふうにした。
もちろんこのような考え方はわたしが発明したなどとゆうものではなく、先人や、そうでなくとも普通な人はみんなそう考える、考えてるんだと思う。
しかしわたしには発明だった。

わたしの一部でありぜんぶ。
排除することはできない。
切り離せない。
彼らを是とすることはできないけど認めることはする。
彼らには彼らの理由があってその理由は同時にわたしのもの、わたしだけのもの。
当たり前だ。
当たり前過ぎる。
しかしあらためてそう考えるとゆうことは、あらためてそう考えない、とゆうこととは決定的にちがう、て思った。

そのときの嫉妬と寂しい気持ちは今でもわたしの中にいる。
ちゃんと住んでる。
彼らの息づかいをわたしは時に感じる。
わたしはときどきわたしの中の彼らの部屋のドアを少ーし開けて隙間から様子を見てまたすぐ閉じる(今でもこわい)。
鍵はない。
そんなものあっても役に立たないから。
彼らの凶暴性はわたしの凶暴性であり、彼らの眠りはわたしの眠りだから。

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