【湖近くの大きなうち、砂漠の中の小さなうち】


生まれた子どもは男の子と女の子のふたごでした。
ふたごのお母さんは出産直後に亡くなってしまいお父さんは行方不明でした。
お父さんは僕の友人でした。
ふたりはそーとーいろいろあった末、駆け落ちのようにして結婚に至りましたがその結婚生活はとても短くその上、出産直前にそれまでのあらゆる問題点がいっぺんに噴出した形になってしまい臨月だったお母さんの不安は想像を絶するとゆー域に達してるふーでした。

出産のとき真夜中の病院にいたのは3人でした。
朧さんのおじいさんとふたごのお母さんの遠縁の親戚の方、この方はこのとき現役の某政令指定都市の市議会議員でした、と僕。
3人はお医者さんからお母さんが亡くなってしまったという知らせを聞き絶句し、それらガラスの向こうで並んで眠ってるふたごの赤ちゃんをしばらく見てから聖路加病院1階の広いもう誰もいないロビーで相談しました。

朧さんのおじいさんが、大変なことになった、あの子たちをどうするね?て言いました。
市議会議員の方が、ご心配には及びません、わたしのうちとわたしの弟のうちで育てます、て答えました。
僕が別々にです?て尋ねると、朧さんのおじいさんがうーむ、それがいーだろーなー、て言いました。
もちろん僕は直接的な関係者ではなく異論を唱えていい立場ではないためそれ以上は黙りました。
市議会議員の方が、キミの言いたいことはもちろんわかる、しかし事情があるんだ、でもわたしたち夫婦には子どもがなく弟のうちは大家族だ、どちらも子どもをたいせつに育てる、て言いました。

結果、女の子はそのとき市議会議員だった方夫婦に迎えられ、男の子は世田谷区の弟さんの家に引き取られることになり僕はそのまま東京で男の子を見守っていくことになりました。
僕は男の子がしかるべく成長したその時、男の子にお父さんのことを話さなければならないとゆう約束をしました。

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