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展覧会「岡本太郎」@大阪中之島美術館2022/9/23

鑑賞者のまなざしの表情。
鑑賞者同士が作品を観ながら語る声。
これまで私が観た展覧会との圧倒的な違いは、鑑賞者たちのこの二つの多様さだった。
岡本太郎の作品が、いや岡本太郎という人間が、観る人をこのようにさせるのだ。
 
これまで私は太郎の作品より文章の方が好きだと思っていた。まったく覆された。文庫の口絵と実物とは、当然だがまったくの別物。ぎりぎりまで近付くことで分かる画布上の描線の肌理。筆遣いから、太郎の息遣いと感情と思考を想像した。
 
3時間半をかけて観終わったあとの疲労は尋常ではなかったが、凄まじく濃厚、濃密だった。怒涛の「なんだこれは!」体験だった。
 
あるモチーフが一人の表現者の中で練り上げられ、あるいは様々に解釈され、何度も別の作品に登場する歴史。別の作品で何度も何度も用いられる特定の色の使用、構図。あとで聞いたところ、私とは別行動でさっと全作品を概観した娘には作品が「全部同じに見えた」らしい。
なるほど。音楽に引き寄せて考えてみると同じことが言える。例えば、私が大好きな即興音楽家デレク・ベイリーはすべての音楽から自由になろうと実践を重ねた人だが、ある人にとっては「全部同じに聞こえる」かも知れない。
その表現者が好んで何度も用いるモチーフが確かにある。それは圧倒的なユニークネスであると同時に、自己模倣と捉えられる危うさも孕んでいる。プロフェッショナルであれアマチュアであれ、一人の人間が表現を続けていくことの宿命であり、理(ことわり)。

では私は?
「自分の歌を歌えばいいんだよ」。
作曲することは生きること。思いもよらない外部に出会うこと。そこに喜びがあること。いま私が在る環境の中で、音楽を思いっきりやること。
岡本太郎という人間が確かにこの世界に生きていた。この事実がある限り、私は孤独ではない。


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#大阪中之島美術館




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