金と髪 2024/03/26の日記
大阪に引っ越していた弟がこちらの家に帰ってきて友達と一緒にご飯を食べに行ったので、私も外食したくなって近所のLa Pausaとかいうイタリアンチェーンに行ったら、注文をスマホでさせられた上に配膳はロボットが持ってくるハイパー資本主義の末路ムーブをかまされてしまい、完全に千葉雅也になった。
La Pausaに来たら、読み取ったバーコードから特設サイトで注文をする形式になっていた。ボロネーゼ一つにそれぞれコードが割り当てられている。ひどいと思った。世界は本当に寂しいところになった。これでいいと本気で思っているんですか、本当のところはどうなんですか、と叫びたくなった。
別に私は雅也ほど感じやすいわけじゃないからいいけどさぁ…それはそれとして高すぎね?物価高を値段据え置きのままやり切る策なのかもしんないけど、普通に違和感しかないよ。外野の意見だから無責任ではあるけど、値段を上げてでもサービスはそのまんまでよかったと思う。どっちにしろ高いんだから、ここまで任せるよりそっちのがずっとマシなんじゃないか。
世界、どんどん値段が高くなっている割には品質も上がらず、どんどん暮らしづらくなってきているように感じる。まあ私の世代はみんなそうか。景気が良い時代を生きたことがまだ一度もない人々。
資本主義、どうなんのかね〜。一回始まっちゃった以上はもう貨幣制度が役に立たないぐらい人が減らない限り終わることはないと思うけど、それまでに発生しうる様々な不都合を考えると私には不安しかないよ。ただ資本主義をムリに止めようとするとそれはそれで反動的に良くないことが起こるんでしょ?もう終わりだよお前たちは。
弟、久しぶりに見たけど相変わらず変な髪をしている。私は他の若い人の格好に対して見識も理解もないのでああいうのは全般的に変だと断ずるけど、それにしてもあの髪型はナニ?クラゲみたいだと思った。なんかダサいともカッコいいとも思えないな。とにかく見ていて不安になる。
まあ高校をドロップ・アウトする直前はなんか目元まですっぽり隠れるバンドマンみたいな見た目をしていたが、あれはマジで陳腐で嫌だったので今のほうがまだマシか。むしろそうやって髪型とかで遊ぶことが全く無い私のほうが、大人になる間にやりがちな体験を順当に経てないからヤバいとかなんとか言われそうだ。それはどうなんだろう、もう身なりに凝る以外の済ませていない儀式が多すぎてよくわからんよ…。
『論理的観点から』を読んでるが、まだ全然わからない。知らない言葉も多いし、そもそも言われている状態が頭の中で上手く構築できない。私は何かを理解するためには説明されているものがなんとなく想像内で図的に表現できないと飲み込めないんだけど、分析哲学はそれが簡単にできない話が多いから厄介だ。まあそもそも絵面がわかんないから文章にしてるわけだが。
てかイメージできないのよりも知らない言葉のほうが普通に困る。哲学の訳語って全然意味が汲み取れない言葉ばっかりだし。例えば「様相」って概念は単に起きていることじゃなくて「可能世界内であったかも知れないできごと」を意味してる言葉だってことを最近になって初めて教えてもらったけど、そんなんパッと見ただけでわかるわけないじゃない。もっと直感的な語を使ってくれよ。
あと『経験主義の二つのドグマ』の分析的/総合的の区別がないって話は状況によってどうとでも言える場合があるからみたいな話でいいのか?だとしたら全然ウィトゲンシュタインの方が上手く説明できてるような気がするんだけど、そう読んで差し支えないんだろうか。全然つかめてる感じがない。誰か助けてくれ。
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