その娘の制度

 いつか縦割り班ということを言い出した人が見直されるときが来るだろうか?と、ここ数か月飽くことなき批判の見出しだけが踊る書き物を見やりながらそう僕は思った。

 僕が最上級生になった春、小太りで頭の禿げかかった校長先生が僕たちの学校へやって来た。しかも、それは、とんでもなく遠いところから赴任して来たという話で、その着任ニュースが町の広報誌に載る前から、僕の親たちの間では前代未聞、特殊な事件として興味本位な噂が立ち上っていた。だからだろうか、新学期最初のホームルームで、今年は各学年を縦割りにして、1年から6年生まで仲良く課題に取り組むんですよ、と話す先生の言葉を今でもその声の調子からして思い出すことができるんだ。

 後年、僕の娘が学校に通う頃、そうだな、それが、夏でも冬でも、終業式間際の通学路の途中、自分の娘を通りすがりに見つけたら最後、ああ、これは僕の一生の記憶のなかに滲みこんで離れないー、そういう造景を見させてくれるー、ことを、僕は、自分の娘に見る羽目になるのだった。

 それが夏なら、娘にとっては忌々しい炎暑の中を、両手に手提げ袋を下げ、背中にはパンパンに膨らんだランドセルを背負った姿ー、そう、黄色い帽子の下の顔からは火が出そうなほど熱を帯びた赤ら顔が覗き、ランドセルと両手の荷物の重さで前かがみになって歩く姿ー、に愛おしいくらいの悲哀が滲んでいるー、という記憶ーを未だに忘れないでいるのだが・・・。

(ドラフト)




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