辛い時、底を打った感覚について

こんにちは、大学4年生のHo.Rです。
倫理学・哲学を主に学んでおり、詩や音楽を作っています。


私は、辛いことからから回復していく際に、底を打った感覚がしたかどうかを一つの目安としています。

底を打ったなと思えれば、そこからボールが上向きに跳ねるように徐々に心身が回復していくことが多いです。逆になかなか底を打たず、ボールがずっと落ち続けていくような、出口が見えないトンネルをずっと走り続けるような感覚だと、まだ回復は先なんだと思います。

この底を打つ感覚というのは、私の中で、John Cageの「In A Landscape」という曲と結びついています。この曲を聴きながら、時間を徐々にゆっくりにしていくと、ボールが底を打ったような感覚がすることが多いです。

無秩序な音像に、何も考えず心と身を任せていると、一音一音に潜む、微かな運動が私に伝わるような感覚があり、それが私の心に確かに伝わってきます。一聴すると、不気味でありながら、それでいて、音の運動が心に伝わる確かな感触がする、面白い曲だと思います。

傷心の中にも、音を感じる機能はまだ備わっているんだと、どうやったって消せない何かが渦巻いているんだと、振り返ってみればそんな思いが浮かびます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?