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読書生活

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#読書

積読の是非について 私の意見 積読の行き着く先とは?

積読の是非についてTwitter上で議論が起こったみたいなので私の意見を書いてみます。本を買って読まずに積んでおくのが良くないことだという意見は尤もなんですがエッセイやライトノベルなら「読んでから次」が確かにできる。しかしこれが難しい古典や哲学になるとそんなわけにいかなくなる。 難しい本に向き合うのは時間と根気が要ります。読んでる間に断念して別方向に行きまた戻ってきたり全く関係ない本を読んでたらその難しかった本のヒントになったり。そんな寄り道と引き返しの繰り返しです。その間

取捨、再開、進展

私自身、本屋をするほど、本が好きなわけですが。一度は本を読むという習慣、行為を捨ててしまったことがありました。 それはインターネットの出現の時でした。 これからの時代は本なんてもういらないと言われました。 知識なんてものもネットでググればよくなったからもう不要だと言われました。 amazonやgoogleの登場は衝撃的でした。 2000年頃のことです。 私はロックとジャズが好きで10代で音楽の世界に飛び込みました。ひたすらに音楽

読書生活 「先物市場のテクニカル分析」

「先物市場のテクニカル分析」 1990年発刊。アメリカでRSIなど逆張り系のオシレーターが生まれたのには理由があって大衆・大多数の人が同意してることは間違っている行き過ぎているという考え方があるのだとか。つまりトレンドが発生して大衆がそれに乗るともはや間違いが生じてる。そういう西洋人独自の思想が反映されたインデイケーター、オシレーターを解説したテクニカル分析の古典的名作。これ読んでFXがうまくなるとは思いませんが私がやってる「オシレーターにラインを引く」というやり方はこの古

読書生活 コンラート・ロレンツ「鏡の背面」

鏡は現実を写す。しかし鏡には表層しか写らない。写る現実にも裏はあるし鏡にもまた背面はある。コンラート・ロレンツは人間の心を鏡に例えた。我々は心を通じて見たもの、感じたものを認識するが人間の心にもまた背面があるはずだと。ありとあらゆる哲学や心理学を用いながら「人間はいかにして世界を認識するか」というテーマに挑んだ一大傑作。200ページ目にはルーレットの話も出てくる。何回かルーレットで赤が連続したら「次は黒が来る」と我々は思うしかしそれは間違いだという認識と確率論にも触れている。

読書について。

「たくさん本がありますね」と言われます。「それ全部読んだんですか?」とも聞かれます。「本を読むと知識がついて賢くなりますよね。」という人もいます。そういうことを言う人は「本を読む=エライ」とか「本を買う=本を読む=知識がつく」だと思っている方が多いです。しかし、ちょっと違うんです。 例えば切手が好きな人が切手を集めます。「それ全部使うんですか?」と聞くのはナンセンスです。その人は切手が好きなんです。使うとか使わないとか、換金性があるとか、そんなことカンケーなく、その人は切手

インターネット時代に本を読む意味はあるか。答えは「ある。」真の「知」とは体系的で経験的なもの。

本を読むことについて。 インターネットの波に押されてCDやレコードが不要になった時、CDやレコードに青春の全てをつぎ込んできた自分はかなり落ち込みました。自分は不要なことをやってたのだろうか、と。 まったく同じことを本を読むこと、読書についても思うようになりました。たくさん本を読んできたけどそれは無駄なことだったのだろうか。Google検索すれば済む時代になったのか、と。随分と無駄な人生を過ごしてしまったものだと思いました。一切のCDや本を買わなくなりました。それがしばら