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夏の短怪談⑧「堕天の過程」

それは前触れもなく空から現れ、落下の衝撃でダウンタウンを2ブロックと、かつては街の発展の象徴だった古ホテルを大袈裟に破壊し、幹線道路を横切って小さな建物をいくつも薙ぎ倒したながら倒れた。

それは(生物であるとすれば)生きている兆候は全く示さず、既に死んでいるように見えた。すぐに周囲への立ち入りが軍によって禁じられたため、未知の物体で構成されている機械だの軍の新型兵器の失敗作だの、それ自体が宇宙人だのとさまざまな噂が無責任な人々の間で流れたが、どれも実態を捉えてはいなかった。


白いサテンのような生地に身を包み、背中には体躯を凌ぐ大きさの2枚の大きな翼、ほんのり頭部から光を放つその見た目から人々はすぐにそれを古い宗教画で見られるような「天使」に結びつけて考え始めた。

とある宗教団体の伝道師はこれを黙示録の始まりだと唱え、熱狂的な人気を博した。政府は始め、それを撤去する方向で動き始めていたが、やがて過激的な宗教家達が保全を叫び始めたためにやむを得ず放置する形となった。

だが、時間が経つうちにそれに異変が生じ始めた。白い衣服は黒ずみ、羽が抜け落ち、頭部の光は目に見えて弱々しくなった。 


専門家達はそれが「堕天の兆候にある」と解釈した。いずれ悪魔となり、この世に害悪をもたらすだろう、と。横たわり変容している蛹の状態のうちに手を打たねばなるまいと。


全長500ヤードにも及ぶ体躯を破壊する作戦がいくつも立案された。誰もがそれに近づくことを拒んだため、最終的に空から爆破解体する案で決着した。

いまやそれは現れた時の神々しい姿とは似ても似つかない姿に変わっていた。しみ一つ見られなかった白い衣服は体躯を覆う薄く黒い毛となり、頭部には2本の角が生え始め、羽は黒く脂分を含み、カラスを思わせる見た目となっていた。


世界中が見守る中、横たわるそれに空爆が実行された。たとえ戦争が起きたとしてもここまでの破壊は無いだろうと思われるような苛烈な絨毯爆撃が行われたが、爆煙が晴れた後に現れた更地に横たわるそれの姿はテレビやネットを通じた全ての人の落胆を嘲笑うかのようだった。


まだ希望を捨てきれないわずかな人々が次の手だてを考えている間にもそれは今にも動き出しそうな活力を感じさせる黒々とした力強い見た目に変わって行き、心の弱い人々は逆にそれを陶酔し、終末論を唱える人々が跳梁跋扈して世界は荒れ、その姿にふさわしい影響を人々に与えていた。


しかし、それが現れてからきっかり99日後に突如として忽然と姿を消した。まるで最初からそこには何も無かったかのように、潰され、爆撃で焼け焦げた瓦礫のみが残された。化学的な調査が行われたが、周囲の汚染等も観測されなかった。


苦難から解放された人々はやがてさまざまな解釈を繰り広げた。熱心な祈りが通じて消えたのだ、いや人々が憎み合ったことで満足したのだ、そもそもアレは存在しておらず、宇宙から集団幻覚攻撃を受けていたのだ、などなど…。だが結局は矛盾を孕んだ推測に過ぎず、それぞれが納得のいく解釈を飲み込む事でいつしかその存在は風化していった。

「遥か古来より天から堕ちた者たちはああやって地獄へと下り、それにふさわしい姿へと変わってやがて天への叛逆を望むようになる。彼らの世界が我々に何の関わりがあるだろうか。矮小な人間達の活動が彼らに影響を及ぼすなどという考えがそもそも驕りである。アレは偶然その姿が我々の目に見える形で写し出されたに過ぎない。」


そう言い放つ奇特な論客もいたがあまり支持はされなかった。みな他のウケがいい話題へと移っていったのだった。




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